妙義龍とダウン症の関係は?出身地や四股名の由来と力士情報も紹介

妙義龍は2021年5月場所の11日目照ノ富士との戦いでは小手投げで負けたかと思いましたが照ノ富士が、髷をつかんでいたのが原因で物言いがついてから協議の結果、照ノ富士が髷をつかんでいたということで反則負けとなり、勝ち星をつかみましたね。本来なら負けていた勝負が急展開でラッキーだったですね。

妙義龍本人は「何て言ったらいいか分からないです。相撲は負けてたんで」という複雑な心境でした。

照ノ富士もつい触ったところが髷だっただけで故意によるものではないのですが一度は軍配が上がったので悔しかったことでしょう。

しかし、残念ながら今場所は高安に負けて負け越してしまいましたね。
結局成績は6勝9敗でしたが次回の活躍に期待したいものですね。

今回は妙義龍と検索するとダウン症というキーワードが出るので調べてみました。
出身地や四股名の由来や力士情報についても紹介します。

妙義龍はダウン症?

妙義龍と検索するとダウン症というキーワードが出てきますので気になっていましたけど妙義龍自身がダウン症ということなのでしょうか?

妙義龍は幼少期から運動神経が優れていて自転車だって補助輪なしで近所の子供よりも早くスイスイ乗りこなしているほどなので妙義龍にはなにも障害もありませんから、ダウン症とは全く無関係なのは間違いないです。身内にもそういう方はいません。

だから、ダウン症のキーワードがあるからと言って気にすることはまったくありません。

ただ、過去にダウン症というキーワードで誰かが検索したときに検索エンジンのAIという人工知能にダウン症という言葉が記憶されてしまうこともあるので1度ダウン症というキーワードが検索エンジンに出ていると自然と人は何だろうと思ってクリックするので表示され続けているだけだということです。

妙義龍の四股名の由来

2010年1月場所で妙義龍は新十両に昇進が確定することになるのですがその時に

四股名が本名の宮本から現在の妙義龍に変わりました。

四股名の由来は、
「いろいろな技を出せるように」
という意味を込めて埼玉栄高校時代の恩師である山田道紀監督が考えて名付けられたのです。

妙義龍は高身長ながらも低い姿勢から前に出る相撲が得意で押しとスピードを生かした攻めが見どころなのです。

妙義(みょうぎ)というのは素晴らしい技とか非常に特殊で専門的な技術という意味を表しているのですが
低い姿勢からの押しや寄り切りが妙義龍の持ち味の一つでもありますし、決まり手の割合を見てみると押し出しと寄り切りが60%を占めているので妙義龍の妙義は押し出しや寄り切りですね。

群馬県の富岡市には妙義山という山が実際にあるのですが四股名とは無関係だということです。
群馬県民には兵庫県の力士が群馬の山の名を四股名にするのはおかしいという声もあるということですが本来の意味合いが違うのでしかたがないのではないでしょうか。

妙義龍の出身地や出身校

妙義龍(宮本少年)の出身地は兵庫県高砂市で生まれ育ちました。幼少期から運動神経が発達していて近所の子供は補助輪付きの自転車に乗っていたのですが宮本少年は補助輪なしでスイスイと自転車をこいでいるのを見て親は将来は競輪選手にしたいと考えたそうです。

習い事の数もたくさんこなしていて習字やそろばん、水泳や柔道など勉強とスポーツと忙しい小学時代だったようです。

兵庫県高砂市内の小中学校に通学していたのですが。あるきっかけで相撲に取り組むようになり、高砂市立荒井中学校時代には中学3年生で公式試合に出場できるようになり、兵庫県大会で2位の実績を残しています。

相撲を始めたきっかけ

妙義龍が初めて相撲に出会ったのは小学2年生の時で近所の神社で行われた相撲大会に参加して見事に優勝して相撲が大好きになったのでした。そして姫路市内の広畑少年相撲教室に行くのですが、かけっこで遊んだくらいで終わってしまったのでした。
2回目にまた、神社の相撲大会では決勝で負けてしまい悔しくて相撲を本格的に稽古することにするのでした。

妙義龍の中学校時代

宮本少年は中学時代には全国中学校体育大会に出場できたのだが陸上部にも所属していて相撲には心が離れていて不良仲間と深夜まで遊んでいたりで茶髪にして喧嘩もするほど荒れた生活だったようで将来はトラック運転手になりたかったというので今から考えるとそうだったのかとびっくりですね。

でも、両親と真面目に相談してからはもう一度相撲を真剣に取り組んでみることにしたんです。
本当に曲がった方向に進まなくてよかったですし、両親も息子が真面目に打ち込めるものができて安心されたことと思います。

妙義龍は埼玉栄高校で結婚相手と出会う

妙義龍は地元の中学校を卒業後スポーツが盛んで大相撲にも力士を多数輩出している埼玉栄高校に入学して
豪栄道(現在は武隈親方)と出会い、同級生で高校総体では豪栄道が優勝し、妙義龍が準優勝という成績を残していて二人はライバルでもあり親友なのです。

お互いに切磋琢磨して強くなったに違いありませんね。

また、今の奥さんとは埼玉栄高校1年生の時に出会っていて自分の理想の女性にもしっかりと目星をつけていたなんてさすがだと思います。

嫁さんになられた奥さんについては後述します。

妙義龍の日本体育大学時代

日体大の相撲部は大正14年に始まって創設八十九年目になる歴史を持ち
大相撲では嘉風関、千代大龍関も日体大相撲部出身なのですね。
妙義龍は大学時代には公式戦に何度も出場するが成績が出せなかったのですが、4年生の2008年には大分国体成年個人の部で優勝
することができて幕下15枚目格付出の資格を取得して先に豪栄道がいる境川部屋に入門して2009年の5月場所で初土俵を踏んだのでした。

引用元:https://www.nittai.ac.jp/club/sumo/busyokai.html

また元文部科学副大臣の松浪健四郎氏が日体大の理事長になり、相撲には何かとこだわりがあって、日体大のチアガールを大相撲の応援にと考えていて37人の女子部員が来てくれるかもしれないというニュースに妙義龍はこんな顔をして嬉しそうでしたが実現はされていないので残念です。

やはり国技と言われる神聖な土俵では日本相撲協会の許可が下りないのでしょうか。

妙義龍 力士情報

引用元:http://www.sumo.or.jp/ResultRikishiData/profile/3206/

四股名 妙義龍 泰成
フリガナ みょうぎりゅう やすなり
本名 宮本 泰成
フリガナ みやもと やすなり
生年月日 1986年10月22日
出身地 兵庫県高砂市
身長 186cm
体重 155kg
所属部屋 境川部屋
得意技 押し・右四つ・寄り
現在の番付 西前頭4枚目
最高位 東関脇

妙義龍は年寄株を取得できるのか

妙義龍は35歳j9邪るのですが将来は年寄株になるのでしょうか。
師匠は境川 豪章 (さかいがわ)親方ですが

妙義龍が現在所属している境川部屋には4人の年寄がいるのですがその内容は

関ノ戸 竜太 (せきのと)

武隈 豪太郎 (たけくま)

振分 幸観 (ふりわけ)

山科 哲博 (やましな)

一般的に年寄りになるには次の条件のいずれかを満たさなくてはいけないとされています。

  1. 最高位が小結以上
  2. 幕内在位通算20場所以上
  3. 十両以上(関取)在位を通算30場所以上

妙義龍は最高位が東関脇なのですでにこれで十分年寄りびばれる資格はもっていますね。
幕内での在位も30場所以上維持しているので申し分ないでしょう。

年齢的に30代半ばでそろそろ引退も考えられるのですがファンとしてはもう少し妙義龍の相撲を見ていたいので悔いのないところまで頑張ってもらいたいと思います。

妙義龍の結婚相手は15年越しの恋

先にも述べましたが妙義龍は埼玉栄高校時代1年生で彼女と出会い15年越しの恋を実らせてめでたくゴールインしたのですが、結婚したお嫁さんはどんな女性で現在はどんな奥さんなのでしょうか?

高校時代1年生の時に隣の席にいたのが山根香奈(やまね かな)さんでした。妙義龍はその時から好意を持ちながらも相撲部は恋愛禁止で携帯もダメだったので高校で会った時に少し話をする程度で思いを伝えられなかったのですが、高校卒業後に妙義龍は十両に昇進して2場所優勝した2011年の秋、忘れられない気持ちを香奈さんに伝えることができたのです。その後、交際に進んでめでたく2人はゴールインすることになりました!高校時代の思いが願いがかなえられて本当によかったです。

2017年の6月1日に結婚し、すぐに長男・泰吉くんが誕生したのですでにお腹に赤ちゃんがいた状態での結婚だったのですね。

引用元:https://www.asahi.com/articles/ASK9Y4J3QK9YUTQP00Z.html

子供は今のところ1人だそうですが今後増えていくことでしょう。

妙義龍はサントリー伊右衛門のCMに出演

このCMを見てお相撲さんの体脂肪率って思ったよりも少ないんだねって感じた方も多いのではないかと思います。

妙義龍の体脂肪率

妙義龍は体脂肪22%でこの数字は力士の中でもとても良い数字なんです。
伊右衛門のCMにも採用されているのですから健康状態も良好ですね。

妙義龍は筋肉量113㎏という数値を叩き出して話題となりました。(体重153㎏、体脂肪22%)

妙義龍の怪我と結婚相手

妙義龍は2011年に十両に昇進することができて高校時代から好感を持っていた彼女に告白したのでしたが相次ぎ怪我に悩まされます。特に左目の網膜剥離の手術をしたときには彼女である香奈さんが支え続けていてその時に妙義龍が結婚を決意したようです。

高校時代の思いをずーっと持ち続けられて告白し結婚できて本当に妙義龍はうれしかったでしょうし香奈さんもうれしかったことでしょう。
怪我を乗り越えれたのも香奈さんの看護があったからこそなんですね。

2010年 1月場所で2日目の臥牙丸戦で左膝前十字靭帯断裂となる大ケガをします。翌月から3月5月7月と休場となり、9月場所からは三段目に降格となったのですが、このころは、大相撲八百長問題で大勢関取が引退に追い込まれたため再度十両に昇格となり、波に乗った妙義龍は二場所十両優勝したのでした!

このころ妙義龍は香奈さんのサポートもあっただろうし、十両となり、関取として給料がもらえて生活も安定し、香奈さん30歳となればもうこれ以上結婚も待たせることはできなかったということもって結婚することが確定したのかもしれませんね。

妙義龍の怪我の経過はこのようになりました。

  1. 2010年 1月場所 左膝前十字靭帯断裂
  2. 2014年1月場所左わき腹に痛みあり 右後腹膜血腫で休場
  3. 2014年秋場所左目網膜剥離により全休
  4. 2017年11月九州場所左膝半月板損傷

このように何度も怪我や病気にも悩まされましたが
奥さんの献身的なサポートがあってこそ現在の妙義龍があると思うんです。

まとめ

妙義龍とダウン症の関連性は調べてみましたが関連性は見つかりませんでした。

四股名の由来は「いろいろな技を出せるように」という思いがあるのです。

妙義龍の出身地は兵庫県高砂市

奥さんは高校時代に同じ教室で隣に座っていた中根香奈さんという一般女性でした。

今後もお二人の幸せとお子さんの健やかな成長を祈るばかりです。

最後までお読みいただきありがとうございました。