今回は人気ユーチューブチャンネルで有名な
二子山部屋の親方にスポットを当ててみました
二子山親方は現役時代は雅山という四股名で
大関まで昇進しためちゃくちゃ強い力士でした
入門から大関までの場所数が12場所という
超スピード出世を成し遂げた平成の新怪物として
世間を騒がせました
そんな話題の部屋を持つ元大関の雅山の資産はどのくらいなのか
ご紹介していきます
雅山は出羽海一門の武蔵川部屋所属で、
当時、若貴兄弟で人気絶頂の二所ノ関一門の
二子山部屋とはまさにライバル関係でした。
二子山部屋といえば、横綱二代目若乃花、隆の里、
大関貴ノ花、若島津ら多くの強豪力士を輩出し、
平成16年に貴乃花親方(元横綱)が継承し、
貴乃花部屋になって以降は途絶えていた名高い
ある相撲部屋ですが、
元大関の雅山が
2018年4月23日に藤島部屋から独立し、相撲部屋
では初めて埼玉県の所沢市に二子山部屋を復活させたのでした
二子山親方は、
「まさか、自分がその名を継いで独立するとは思わなかった」
と、話していました。
二子山部屋は、
2006年12月より正式に貴乃花名義となった。
その後、2013年に引退後3月に元大関の雅山哲士が取得し14代二子山親方に
なったのでした
二子山親方(元大関雅山)のプロフィール
3人きょうだいの長男(第2子。姉と妹がいる
小学生時代には空手やソフトボール、
バスケットボールに取り組んでいたが、
小学校6年時に担任の先生から「
大会で勝ったら、焼肉をいっぱい食べさせてあげるから」
と言われ水戸市の少年相撲大会に出場したところ
優勝したことで相撲に興味を持ち始めたということで
きっかけは焼肉でした
水戸市立見川中学校時代は柔道部に在籍していたが、
柔道部の顧問の先生には直談判して相撲を続けさせてもらいました
中学1年の5月に出場した水戸市の相撲大会で3位に入り、
相撲の素質を発揮すると、この活躍が当時、水戸尾曽相撲道場を
主宰していた尾曽正人(武双山正士の父親)から認められ、
週1回、道場の土俵がある茨城県立水戸農業高等学校に通い、
尾曽の指導を受け実力をつけていきました
二子山親方のプロフィール
四股名 雅山 哲士
本名 竹内 雅人
愛称 マサト
20世紀最後の怪童
平成の新怪物
生年月日 1977年7月28日(47歳)
出身 茨城県水戸市
身長 187cm
体重 188kg
BMI 53.76
所属部屋 武蔵川部屋→藤島部屋
得意技 突き、押し、右四つ、叩き
成績
最高位 西大関
中学2年時には全国中学校相撲選手権大会
いわゆる(全中)個人戦に茨城県代表として出場
中学3年時の全中では決勝で同学年の岡部新(玉乃島新)
に勝って優勝し、中学生横綱になりました
水戸農高に進学して、相撲一筋の生活に明け暮れます
高校では1年時に新人戦で優勝、3年時に宇佐大会で準優勝
という成績を残しました
大学時代の成績
明治大学相撲部から勧誘を受け、明大に進学
1997年(平成9年)9月の東日本学生相撲個人体重別選手権無差別級と
1998年(平成10年)4月の全日本大学選抜相撲宇和島大会で
それぞれ優勝して大学二冠を達成すると、
当時、中学時代からのライバル岡部のちの玉乃島が
東洋大学を2年で中退して入門していたを見て刺激を受け、
3年次の6月に中退して武蔵川部屋へ入門、同年7月場所に
幕下付出で初土俵を踏むという決断力が早かったのでした
入門後の成績
初土俵の1998年7月場所と翌9月場所の2場所連続で
全勝優勝を果たし11月場所では十両に昇進
同場所を12勝3敗で優勝、1999年1月場所は西十両筆頭で、
14勝1敗で優勝と、4場所連続優勝を果たしました
翌場所は9勝6敗で敢闘賞を受賞、初土俵から所要5場所での三賞受賞は
当時の最速記録となりました
現役在位が88場所中幕内在位期間が82場所と無給の時期がほぼありませんでした
三役在位が20場所で、関脇14場所、小結6場所
大関在位期間
2000年(平成12年)1月は新小結で優勝次点となる12勝3敗
3月場所は関脇で11勝4敗、5月場所は11勝4敗とし、34勝で
7月の名古屋場所では大関昇進を果たしました
初土俵から所要12場所での大関昇進は史上1位のスピード出世である
しかし、大関では勝ち越しが少なく、いきなりカド番で
本来の大関らしさを発揮できず
わずか8場所での陥落となってしまい、そこから復活できずに
力士人生が終わってしまいました
引退後
大関からの陥落と大関への復活を試みるのですが、
ケガとの戦いで勢いをなくし、勝ち越しができなくなり
幕下まで陥落が決定した2013年(平成25年)3月場所で
引退を表明しました
藤島部屋付き年寄として後進の指導をしていましたが、
2018年(平成30年)3月29日の理事会で、同年4月1日付で、
6人の内弟子を連れて藤島部屋から二子山部屋を
分家独立することが承認されました。
二子山親方の資産
二子山親方の資産はどのくらいなのかということで
ざっと現役時代から現在までの年収から計算していきましょう
雅山は初土俵から幕下格付出から超スピードで幕内に上がりました
十両時代が4場所
幕内在位が82場所あるなかで、
前頭時代が54場所
三役在位20場所あるなかで、
小結時代が6場所
関脇時代が14場所
大関時代が8場所
殊勲賞:2回(2000年1月場所、2006年5月場所)
敢闘賞:5回(1999年3月場所、2000年3月場所、2000年5月場所、2005年11月場所、2009年11月場所)
技能賞:1回(2006年5月場所)
十両優勝:2回(1998年11月場所、1999年1月場所)
幕下優勝:2回(1998年7月場所、1998年9月場所)
ということで計算しますと
十両時代110万円×4=440万円
前頭時代140万円×54=7560万円
小結時代180万円×6=1080万円
関脇時代180万円×14=2520万円
大関時代250万円×8=2000万円
殊勲賞200万円×2=400万円
敢闘賞200万円×5=1000万円
技能賞200万円×1=200万円
幕下優勝50万円×2=100万円
十両優勝200万円×2=400万円
1億5700万円稼いだことになりました
引退相撲では、
師匠の藤島親方(元大関武双山)が大銀杏を切り落とした
退職金に当たる養老金
養老金は、引退した力士の功績などによって異なるようなのです。
雅山は8場所で大関を陥落したことで、あまり良い評価はもらえていないかと思いますが
約1000万円くらいはもらえていると思います
そして、引退相撲・断髪式には約8000人の方が参列していることから、
数千万年の収入があろうかと思います
二子山親方は日本相撲協会の委員という立場であり、
審判部・指導普及部として二子山雅高と表示されていますね
月収が1,001,000円
年間賞与が2,002,000円ということなので年収は
1500万円から1600万円相当になると思われます
相撲部屋の収入源
二子山親方だけでなく、相撲部屋に支給される収入もあるのです
部屋に支給される補助金は主に3種類。
「力士養成費」は幕下以下の力士1人当たり1か月7万円。
「稽古場経費」が1場所ごと(2か月に1回)に力士1人当たり5万5000円、
「相撲部屋維持費」が1場所ごとに力士1人当たり11万5000円支給される。
合計すれば、力士1人につき、部屋は年間約180万円もらえることになるのです。
二子山部屋は、現在15名力士がいますので1年で
180万円×15=2700万円
さらに十両以上の関取には1場所ごとに「養成奨励金」が支給され、
3万円以上のお金が毎月協会から支払われるのです
また、相撲部屋には、力士を支援するための後援会があり、
個人や企業から寄付やスポンサー料を受け取っています。
これらの資金は、部屋の設備投資、力士の食事や移動費用などに使われますが
余剰金もあるでしょう
引用元:https://kazoku.pref.fukuoka.lg.jp/kazoku/events/detail/9e085bad-f576-4579-a5c6-f6bf3579c5c7
イベントや講演会などからのご祝儀や差し入れなどを含めると
いくらになるのかは不明ですが、
二子山部屋、二子山親方の所有しているお金は
数億円から数十億円の資産を保持していると
言えるのではないでしょうか
あなたはどう思いますか?ぜひコメントをお寄せください
またこちらは二子山親方の書かれた雅ノートです
親方のことがより詳しくわかるのでよろしければご覧ください
最後までお読みいただき,ありがとうございました
あなたのコメントをいただけると嬉しいです
“二子山親方の年収はいくら?現役時代と親方の給料も紹介” への2件のフィードバック