琴ノ若は大関に昇進し、琴桜になって初優勝、強くなったよなあ
そうなんですよ、お父さん抜き、大関ですからねえ、初優勝もしたし次は祖父の琴桜を目指します。
横綱昇進は令和7年初場所ですね?家系図も知りたいなあ
そのあたりについては、私が紹介していきましょう
令和六年九州場所で初優勝
琴櫻は令和六年の九州場所・千秋楽で、ついに初優勝を果たしました千秋楽では宿敵の豊昇龍をはたきこみで撃破して、14勝1敗という素晴らしい成績で悲願の初優勝を果たしました。
引用元:https://www.sanspo.com/article/20241124-DEZ7RXMXMJF3FLAPHWY5CHNS4I/
1月に新大関となり、横綱の照ノ富士との優勝決定戦で惜しくも敗退し、その後は二けた勝利は、していましたが、一年の締めくくりの九州場所で見事に大関の豊昇龍に土をつけての初優勝は琴櫻は最初は実感がわかなかった様ですが賜杯を八角理事長から受け取って後援会の人たちに万歳と祝福されて本当に優勝したんだと実感が沸いたと語っていました。
引用元:https://www.nikkansports.com/premium/sports/news/202411250000643.html
令和六年初場所
令和六年初場所で琴ノ若は、15日目の千秋楽で翔猿に勝ち、
自己最高の13勝2敗の好成績を残しますが、
横綱の照ノ富士も霧島を破り、13勝2敗となり、相星決戦となりました
優勝決定戦では残念ながら、
照ノ富士に寄り切られて優勝は
逃しましたが、13勝2敗という好成績で、大関昇進が決定しましたね
琴ノ若はついに、師匠で父親でもある佐渡ケ嶽親方
(初代琴ノ若)を超えましたね
父親の佐渡ケ嶽親方は親孝行に感謝するとともに、
早く横綱になれと、声をかけたのでした
琴ノ若が大関昇進確定
令和六年初場所で琴ノ若は、大関昇進の条件である、
三役で直近の三場所で33勝以上という、
大関の昇進条件をクリアしました
その成績の内訳は、
令和五年九月場所 東関脇 9勝6敗
令和五年十一月場所 東関脇 11勝4敗 敢闘賞
令和六年一月場所 東関脇 13勝2敗 技能賞
と、合計勝ち数が33勝で大関の昇進条件をクリアしています
令和六年春場所13日目
引用元:https://www.youtube.com/watch?v=hJg7Yd_9oUM
翌場所の春場所では、13日目の3月22日、立ち合いから大関貴景勝の当たりをしっかりと、
受け止め、上手を取って攻めたのですが、すくい投げで体勢を崩され、送り出されて、優勝争いから脱落してしまいました。成績は10勝5敗となりました
春場所では、琴ノ若の四股名が最後になるので、優勝したかったところですが、夏場所に持ち越しとなりました。夏場所では新生、琴桜として琴櫻 将傑 ことざくら まさかつとなります。
優勝をかけて一段と力強い相撲を期待できると思います
琴桜(琴ノ若)の家系図
琴櫻(元・琴ノ若)は1997年11月19日、当時現役の幕内力士だった初代琴ノ若の長男として誕生し、父親は現在の師匠であり、実の父親でもあります。母親は第53代横綱 琴櫻 傑將 (ことざくら まさかつ)娘で鎌谷真千子さんです。親子三代関取ということでまさに、角界のサラブレッドということです
琴櫻の家系図は以下の通りです
初代琴桜
引用元:https://www.bbm-japan.com/article/detail/7403
初代琴櫻は、鳥取県倉吉市で生まれ、お父さんは警察官だったそうで柔道をやるようになりました。
中学生では段位を取得するほどの実力がありましたので、
「鳥取に柔道の猛者がいる」という噂を聞きつけて、当時の佐渡ヶ嶽からの勧誘を受けて、佐渡ヶ嶽部屋に入門しました。その後はものすごい部近間氏やのど輪で一気に攻める相撲で活躍し、「猛牛」という異名を取り、横綱まで昇進しました
鳥取県倉吉市には、琴櫻記念館があり、今でも多くの人が訪れていますし、倉吉市名誉市民でもある、琴櫻を顕彰して、桜相撲という小中学生の相撲大会が行われているのです
引用元:http://www.kurajc.or.jp/sakura/
初代琴櫻の亡くなった時、佐渡ヶ嶽部屋の敷地に植えてあった3本の桜の木のうち、1本が倒れて枯れてしまったのです
実の娘の鎌谷真千子さんはその時のことを、次のように語っています
「父が亡くなった時、その桜も倒れてダメになってしまったんです。一番好きな花の樹木を持っていったんだなと…」と振り返ったそうです。
2代目琴櫻の母親は鎌谷真千子!初代琴櫻の娘で年齢や画像や性格は?
初代琴ノ若
初代琴ノ若は、山形県尾花沢市出身で本名が鎌谷 満也(旧姓:今野)
中学時代には柔道で、県大会団体戦準優勝、また、飛び入りで砲丸投げに参加したところ、
山形県大会での6位入賞ということで、運動神経が優れていることが評判となっていたのですが、
それを聞きつけてすぐに、当時の横綱だった琴櫻が勧誘に駆けつけたのです
1984年に初土俵、新十両昇進は1990年7月場所で、入門して6年を要した
1996年は真千子さんとの婚約と結婚で7連勝やダブル金星という好成績を残します
そして関脇に昇進しますが、ひざの故障で引退することになりました
鎌谷真千子
鎌谷真千子さんは琴桜の実の娘さんで、子供のころから、家が佐怒ヶ嶽部屋で生活していました。
父親が横綱の琴桜で、お母さんは女将さんで親子に時間が少なくて構ってもらえませんので、
裸の男たちがいつも、そばにいる生活は抵抗もあった様ですが、お父さんからこの男と一緒になれと
言われて結婚したのが今の親方で、初代琴ノ若です
現在は女将さんとして忙しい日々を送られています
琴桜(琴ノ若)は父親の相撲に似ている
「師匠であり父親の初代琴ノ若は192センチ・176キロの
長身を活かして相撲を取った。突っ張ってから右四つに
組み止め、左上手を引きつけての寄り切りや上手投げを
得意としていた。
今の二代目琴ノ若も突き押しに対応できる右四つ相撲が
取れる。その姿は父親を彷彿とさせます。
ということで、琴ノ若の相撲は相手の攻撃を受け止めて
戦う四つ相撲なのです
また、動画でも紹介していますのでご覧ください
琴櫻の相撲は押し相撲
祖父の琴櫻の相撲は、突っ張りでガンガン攻めていく
押し相撲、つまり、貴景勝や大栄翔のように突っ張って
攻めていく相撲なのでしょう
琴櫻の相撲は
「頭から激しく当たり、そのままの勢いで力任せに押していく。
稽古場でも手を抜かず、ぶちかますので、みんな嫌がって
部屋に稽古相手がいなくなった。
そのため出稽古に励んで、強くなったということです
初代琴櫻の知られざる大関昇進のエピソード
琴櫻が大関に昇進するときのエピソードがありました
角界の内幕を暴露していた元・大鳴戸親方(元関脇・高鉄山)は
1967年9月場所について、こう明かしていた。
「琴櫻はこの場所で12番勝てば大関当確といわれていた。
14日目までに3敗して、千秋楽の麒麟児(のちの大麒麟)戦を
絶対に落とせない状況になった。もちろん裏工作はできた。
ところが、その一番が大相撲になって、土俵を行ったり来たりする
うちに、琴櫻が足を滑らせて倒れてしまった。
支度部屋に帰ってきた琴櫻が大泣きし、控えにいた
柏戸さんと北の富士の2人は大笑い。酒を飲めば必ず出ていた話だ。
結局、11勝でも大関に昇進できたわけですが」
悔し泣きは祖父の琴櫻でもあったんですね
琴ノ若が琴櫻になる条件
琴ノ若が子供の頃、祖父の琴櫻は、
「お前が大関、横綱になったら、俺の四股名をやろう」
と、話していました
この度、琴ノ若は大関に昇進しますが、四股名はいつから変わるのかというと、
大関昇進伝達式の後の会見では、5月の夏場所から、元横綱だった祖父の四股名
「琴櫻」を襲名する予定と明かしました
つまり、
3月までは琴ノ若で5月から琴櫻になりましたね。親方田女将さん部屋の仲間や講演会の方々、多くの相撲ファンが横綱昇進を願っていて、最短では令和7年初場所で再度の優勝を果たせば、文句なしで琴櫻の横綱昇進が決定します。
来年の相撲が楽しみでなりません
琴櫻(琴ノ若)が横綱になるのに必要なことは?
引用元:https://www.nikkansports.com/premium/sports/news/202411250000643.html
初代琴櫻は押し相撲のイメージが強いですが、右四つでも相撲が取れました
遅咲きの桜と言われ、横綱になったのは32歳で少し遅かったんですが、
右四つから相手を腹に乗せてのつり出しや寄り切り、左からの上手投げも武器にしていたのです
琴櫻(琴ノ若)が祖父のような鋭い立ち合いからの取り口を身につければ、横綱昇進も夢ではない
とある相撲ジャーナリストが話していました
つまり、琴櫻(琴ノ若)には立ち合いのスピードが必要で、圧倒的なパワーで攻めの相撲が必要です。初代の琴櫻のような、猛牛と呼ばれるような突進していく圧力をかけた相撲が欲しいですね。
琴櫻(琴ノ若)のぶちかましや、突っ張りもぜひ見てみたいものです
宮城野親方(元横綱白鵬)のコメント
また、今回の大関昇進について、宮城野親方(元横綱白鵬)は琴ノ若の今後の
相撲について、次のように話しています
「琴ノ若は恵まれた体格を生かした圧力と懐の深さが大きな武器です。
また、つきたてのお餅のように柔らかい体は、相手の力を吸収してしまう天性のもの。
最近では、立ち合いで自分有利のもろ差しに持ち込む形もできつつある。
いなし、肩透かしも上手で、力頼みではなく、うまさも出てきました。
大関昇進が確実となり、これから勝負どころを見極める経験を積めば、一つ上を目指して
いけるでしょう」
と、高く評価していました
琴櫻(琴ノ若)の令和六年初の相撲を見てみる
令和六年初場所の取り組みを振り返ってみると
初日は阿炎の激しい突っ張りを受けても、
下がらない腰の重さ、安定感と
はじき返す強さが光りました
二日目はの豪ノ山宣は序盤体圧で押されるが、左にかわし
相手が出てくるところを上手投げで仕留めるのは見事
三日目の翠富士戦は完全に相手の両腕を抱え込み
抑え込みながら肩透かし
四日目は熱海富士戦も相手が力を入れる瞬間に
さっと右に交わしてはたきこむ二日続けての肩透かしで
相手をよく見ていますね
素早いです
五日目は宇良との対戦は一瞬ヒヤッとしたが、
相手の後ろをに回り込んで送りだし、すばしこい
裏に振り回されながらもついていけます
六日目の若元春は立ち合いで激しく突っ張り合うが
左にいなされてバランスを崩した瞬間を逃さず
攻め込まれた相撲で黒星
一瞬のスキを突かれましたね
七日目の竜電で、相手にまわしを取る暇を与えませんでした
一気に寄り切る相撲で万全の相撲でした
八日目は高安はインフルエンザで休場のため不戦勝
九日目は大栄翔の激しいツッパリにも耐えながら
右の上手を取ると一気に寄り切る相撲で突き押しの力士にも
しっかりと対応できていますね
十日目の大の里には立ち合いでもろ手突きで当たり、
後退させておき、回しを取らすことなく一気に寄り切る
相撲で完璧
十一日目は王鵬にはおっけと激しく突っ張った末、
相手をよく見ながら一気に押し出しました
してに相撲をさせないいい形です
十二日目は立ち合いで阿武咲が足を滑らせて
自ら転びはたき込みであっさりと勝ちました
十三日目は横綱の照ノ富士との取り組みでは、
さすがに力では負けてしまい、寄り切られて
しまいました
照ノ富士の対策が未完全と言えるでしょう
十四日目では霧島の左手が琴ノ若の首をとらえて
一時止まる形になるが、右手で振り払い、激しい攻防の末
霧島は体勢を崩し、尻を向けたところを一気に押し出した
ある意味ではラッキーだったと言えるでしょう
十五日目は翔猿の素早い動きにも対応し、最後は左手で
まわしを掴んで上手投げで仕留めた
15日間で13勝2敗の好成績を残したことで優勝同点の
成績を残し、大関昇進が確定しました
優勝決定戦では、琴ノ若が頭をつけようとするが、照ノ富士に
つかまり、上体を起こされてしまい、最後は力で寄り切られた
照ノ富士には力の差を見せつけられた
琴櫻(琴ノ若)が横綱になるためにやるべきこと
最初に、結論を言うと、琴櫻(琴ノ若)が、今からやるべきことは、打倒照ノ富士に尽きるでしょう
琴櫻(琴ノ若)は確実に、強くなっているのは、もちろんのことですが
来場所から何を目標にしていくかで将来は決まるでしょう
阿炎や大栄翔など、ツッパリを得意とする力士にも、対応はできているし、
宇良や翔猿などの動き回る力士にもついていけています
最後の目標である横綱照ノ富士をどうやって倒すか?
それは、かつて昭和の大横綱の千代の富士が強い相手を倒すために、小錦や琴風に挑んで、出稽古にどんどん出かけていきましたので、琴櫻(琴ノ若)も出稽古に出かけるべきだと思います
千代の富士は相手に勝つまで決してあきらめない!小錦がヒーヒー言うほど、出稽古に行きました
千代の富士は自分が横綱であろうが、気にすることはなくて、
「横綱であろうが弱いやつが強いやつに勝つまで
出稽古に行くのは当たり前でしょ」
と言っていました
琴ノ若も照ノ富士を倒すためにどん欲になるべきです
伊勢ケ浜部屋に出稽古に行き、照ノ富士に何度でも
勝てるまで挑んでいくしかないはずです
伊勢ケ浜部屋に乗り込んでいき、照ノ富士に体当たりして
へとへとになるまで稽古すれば絶対に強くなるんです
祖父の琴桜の得意だった、ぶちかましや、突っ張り、
をプラスして祖父に力をもらうのも良いし、
腰や膝の弱い照ノ富士を振り回して崩していく戦法も良いでしょう、何度も照ノ富士本人と稽古
するのが一番でしょう
大関で琴櫻になったら、絶対にやるべきでしょう
そして、最大の目標は宿敵、照ノ富士を撃破して横綱の座をつかみ取ってもらいたいです
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