
大相撲の世界では、力士が注目を集めることが多いですが、
その舞台裏で重要な役割を果たしているのが「行司」と呼ばれる人々です。
彼らは、力士の取り組みを進行させ、勝敗を裁定するだけでなく、
番付を作成したり、場内放送を行うなど、幅広い役割を担っており、
相撲界には欠かせない存在です。
今回は行司の役割と階級、中でも最高位の立行司について
年収や行事の階級について紹介します
行司の起源

行司が初めて登場したのは、織田信長が相撲大会を開催した1570年頃
江戸時代に入ってようやく、相撲の技を代々伝える
「行司家(ぎょうじけ)」が生まれました。行司家は相撲が日本各地に
広まり始めたことをきっかけに生まれた「相撲の家」で、
流派のようなものです。現在では東京行司家の「木村家」と「式守家」が
代々行司の仕事を受け継いでいます。
行司の役目

大相撲の行司の定員は45名以内とされていますが、
日本相撲協会の決めた審判規則の中に、行司は両力士が
土俵に上がってから競技を終えて土俵を下りるまで、
進行の主導的な立場にあり、競技の進行、勝負の判定を決める、
となっています。つまり行司の役割は土俵上の取組を進行して、
勝ち負けを決めることです。
審判規定では詳しく行司の動作が決められていて、
勝ち力士出場の東か西に軍配を明白に差し上げる
ことによって勝負を決め、勝ち力士に勝ち名乗りを
上げ競技を終えるとなっています。
土俵の上では行司は何と言っているのか?

これも審判規定で決めています。時間前の仕切りでは
「構えて、まだまだ」と言って、技をかけているときは
「残った、残った」です。両力士が動かない場合は
「ハッキョイ」と言います。「ハッキョイ」は
「発気揚々」のことで、気合いを入れて全力で勝負しよう
という意味という説もあります。立ち合いのとき
「手をついて」と言う行司もいます。
物言いがついたら行司はどうするのか?

物言いとは、土俵の下の審判や控え力士が行司の勝負判定に
異議があるときに手を挙げて、5人の審判が土俵上で
協議することです。審判長がビデオ室で勝負を見守っている
親方に無線で連絡をして意見を求めることもあります。
行司は協議の輪の中にいるが、発言はできません。
自分の勝負判定についての協議だから発言ができないのは当然です。
行司・その他の仕事

行司は、勝負の審判役のほか、番付表の作成や場内アナウンス、巡業の渉外など、
多数の仕事をしていますので詳しく紹介します
行司の新弟子は最初の1年は行司会監督に
付いて基本を教わる。それが終わると部屋や一門の
先輩について勉強。相撲字(極太の楷書文字)などを
徹底的に叩き込まれる。
3年間は養成期間だ。力士に負けず劣らず
上下関係が厳しいと言われ、セクハラ問題も起きましたね

番付編成や取組編成の補助的役割
場内アナウンス取組の決まり手や、力士の紹介、懸賞の紹介をアナウンスします。
地方巡業のサポート親方と一緒に一足早く巡業先へ向かい、旅館や交通の手配をおこないます。
行司の階級

行司は定員が45名以内と定められており、階級社会で
下記の八段階に分けられています。
力士同様、行司も1日でも早く入門した者が兄弟子で、
年齢は関係ない。その後の出世は判定の正確さや
土俵態度などの評価とされていますが、実態は
入門順(勤続年数)の年功序列です
行司の階級は以下の8つの階級にわかれています
序ノ口格
序二段格
三段目格
幕下格
十両格
幕内格
三役格
立行司格式 式守伊之助
立行司格式 木村庄之助(最高位)
今回、立行司が入門したばかりの10代の行司に酔って
セクハラするという、非常識極まりない問題が起きましたが、
背景には“絶対的な上下関係”があったと考えるべきです
行司の衣装

相撲の行司の衣装は「行司装束」と呼ばれ、烏帽子(えぼし)と
直垂(ひたたれ)を着用します。階級によって素材や着こなし、
履物などが異なり、芸術品ともいえる装束です。
行司の衣装の主な特徴は次のとおりです。
階級によって装束が異なり、菊綴や軍配の紐の房の色などで
階級がわかります。
立行司は神事では位が高い人しか着用できない紫色を装束や
小物に使います。
衣装の色や小物については
木村庄之助は総紫、式守伊之助は、紫白で階級の差を区別されています
身に着けるものは、
足袋、草履、短刀、印籠と一番多いです
三役格行司は衣装、房・菊綴が朱色です。
足袋、草履、印籠を身に付けます
幕内行司の衣装は紅白、十両格行司は青白 紅白房・菊綴が青や白で、
白足袋を履きます。
幕下以下は房・菊綴が黒か青で、裸足で木綿地の装束を着用します。
夏用は麻、冬用は絹です。
このようにかいきゅにより衣装の色や持ち物が異なります
左腰に短刀、右腰に印籠を携えます。
行司の衣装は、デザインが自由で、後援者や部屋の関取が
プレゼントしてくれることもあります。部屋の名前や力士の
名前が柄になっている場合もあります。
行司の衣装代は月給とは別に協会から支給されます
最高位の立行司の木村庄之助

2024年9月26日の日本相撲協会の理事会で、立行司の
第42代式守伊之助が第39代木村庄之助に昇進することが承認されました。
来年初場所からは、第39代木村庄之助を襲名することになりました
木村家と式守家
「江戸時代には全国に各流派の行司家があったが、
現在まで残ったのが木村家と式守家だとされています。
どちらの姓を名乗るかは入門した部屋次第。
木村家が式守家の上位という序列でしたが、
明治末期に両家の交流が始まった。
現在では三役格から立行司に昇格した行司が
まず『式守伊之助』を襲名し、その後、
先代の『木村庄之助』が引退して空位となった時に、
木村庄之助の名前を継ぐ形が定着しています
今回、問題を起こした40代式守伊之助は差し違えを
繰り返すなどしたことから、
“38代木村庄之助”襲名が見送られてきたといわれています
木村庄之助と式守伊之助

木村庄之助は、行司最高位にあたり、番付に例えると「東の横綱」
主な取り組みは「結びの一番」と呼ばれ、その日の最も重要な取組です。
結びの一番は、相撲ファンにとって最も注目される瞬間であり、
それを裁く木村庄之助の責任は重大です。
木村庄之助の衣装や軍配の房色は「総紫」となっています。また、
木村庄之助と式守伊之助の両者ともにですが、腰に短刀を
差していることも注目すべき点です。
この短刀は、もし差し違えた場合には、自らの命を絶つ覚悟があることを
示すとされています。
一方で式守伊之助は、番付に例えると「西の横綱」に相当すると言われています。
結び前の二番など、重要な取り組みを担当します。木村庄之助がいない場合に
は結びの一番も裁くことがあり、木村庄之助が空位となった際には
昇進の可能性があります。
また、式守伊之助の装束は、木村庄之助と異なり、衣装や軍配の房色が
「紫白」(紫に白が混じっている)を身に着けており、この装束の違いが、
両者の地位の違いを視覚的に示しています。
行司の年収

給料は本給、装束補助費(立行司で約5万円)、手当。
序ノ口行司の初任給は本給1万4000円+手当12万6000円で
月14万円。本給は階級が上がるたびに増え、
横綱にあたる立行司になれば年収1300万~1500万円といわれている
序ノ口行司の本給が14,000円+諸手当で20万円から始まり、
、十両行司になると本給が100,000円以上となり、
基本給を足して30万円程度になるようです。
三役行事になると本給が36万円+諸手当で45万円
立行司になると本給が50万円+諸手当で100万円くらいになりますので
年功序列で、能力や経験により収入は増加していきます
定年は65歳で相撲協会から離れることになります
行司は45名の定員のなかから、ごく一部の選ばれたものが頂点の
立行司になれるということですね
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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