藤ノ川は牛若丸!父親と母親はどんな人?兄弟や家族構成と三役昇進への道のりを徹底解説

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戦後の大相撲史に、新たな伝説が刻まれた。

横綱初挑戦から4場所連続で金星――。 42年間破られることのなかった小錦の大記録を、ついに塗り替えた男が現れた。

身長177センチ、体重120キロ。 巨漢力士がひしめく土俵で、常識を覆し続ける小兵力士・その名は、藤ノ川だ。

今回は、
“令和の牛若丸”と呼ばれる21歳の新星は、なぜ横綱を次々となぎ倒せるのか。 その強さの秘密に迫ります。

藤ノ川は以前は若碇(わかいかり)という四股名でした、父親の大碇(おおいかり) の四股名を継ぐ予定でしたが急遽、藤ノ川に変わりました。
四股名の由来から紹介しましょう

伝統の四股名!藤ノ川の由来

初土俵は若碇、入幕したら父親の大碇を継ぐ
約束だったが、新入幕を果たした令和7年の名古屋場所では大碇ではなく藤ノ川に

藤ノ川は明治から伝えられている伊勢ノ海部屋の伝統の四股名です。

4代目の藤ノ川は最高位は関脇で110キロに満たない小兵力士でしたが、
強靭な足腰を生かした足技や肩透かし、
で大活躍し、のちは父親の大碇などを育てた人物。
弟子のなかのひとりである、
愛知県大府市出身の服部祐兒さんは
同志社大学ではアマチュア横綱の実績をのこし、角界入門後は幕内力士で活躍するが、
けがのため26歳で引退、
その後は東海学園大学の教授も務めました。日本学生相撲連盟の副理事長にも就任しし、
5代目・藤ノ川を継承してテレビの相撲解説者として活躍していましたが令和7年6月に
がんで亡くなってしまいました。

そこで79歳の4代目・藤ノ川は、急遽、藤の川を継承してほしいと伊勢ノ海親方(元前頭・北勝鬨(ほっかどき))本名・久我 準人「くが もとと氏」に頼みました。

「俺が生きているうちに藤の川を継いでほしい」

ちょうどその時に新入幕となったのが
若碇でした。

父親の甲山親方と若碇はこれを
受け入れて
4代目の願いと部屋の伝統の四股名である
藤の川を継承することを受け入れました。

5代目の逝去の24日後に
6代目藤ノ川を受け継ぐことになりました。
昭和の牛若丸から令和の牛若丸へと受け継いでいるのです。

藤ノ川は牛若丸!横綱を4連続で撃破

藤ノ川は、横綱初挑戦から4連続金星
あの小錦の記録を42年ぶりに塗り替えた
大記録を達成!

まずは、小錦の3連続金星から紹介しましょう

小錦の3連続金星

1984年(昭和59年)9月場所(秋場所)は、新入幕2場所目・20歳の小錦が「黒船旋風」を巻き起こし、日本中を震撼させた歴史的な場所です。舞台は「最後の蔵前国技館」でした。
小錦の当時の番付は:西前頭6枚目。

初金星

11日目:横綱・隆の里を撃破(初金星)強烈な喉輪押しからショルダーアタック気味に体をぶつけ、横綱を土俵下まで吹っ飛ばしました。初土俵からわずか14場所目での金星は、当時史上最速の記録でした。

12日目:大関・若嶋津を撃破しました。
前場所で優勝し、今場所に「綱取り(横綱昇進)」がかかっていた首位タイの大関・若嶋津と対戦。もろ差しを許し得意の下手投げで攻め立てられますが、巨体を生かしてこらえ、最後は力強く寄り切りました。

13日目:関脇・大乃国を圧倒のちの横綱となる巨漢・大乃国をも力で圧倒し、連勝を伸ばします。

2個目の金星
14日目:横綱・千代の富士を突き出す(2個目の金星)「ウルフ」の異名を持つ大横綱・千代の富士と初対決。真っ向からの強烈な突き押しで、千代の富士にまともな相撲をさせず一気に土俵外へ突き出しました。

3個目の金星
翌場所の
11月場所(九州場所)の初日に北の湖との初顔合わせが実現し、小錦が一方的な押し出しで完勝しました。

小錦の「黒船旋風」は千代の富士の執念の火をつけ、横綱みずから、直接出稽古に通わせた引き金となりました。

藤ノ川の4連続金星はまさに牛若丸

藤ノ川は、2026年3月の春場所と7月の名古屋場所にかけて、不戦勝を除く横綱初挑戦から4連勝という歴史的快挙を成し遂げました。
令和の牛若丸と言える相撲内容を紹介しましょう。

1・2勝目(春場所):当時頭角を現していた2横綱(大の里、豊昇龍)を連続で撃破しました。
1つ目の金星

相手が前のめりに圧力をかけてきたところで、サッと左に動いて引き落とし。
父の甲山(かぶとやま)親方は、ビデオ係としてビデオ室で取組を見た。その瞬間は「よっしゃ!」と声が出て、思わず手をたたいたという
甲山親方は「左を差したかったと思う。右ののど輪も効いていた。横綱も本調子じゃない」と冷静に話した。今場所前は、二所ノ関部屋へ出稽古するなど対策も練っていた。「勝つことをイメージしていたんじゃないですか、知らんけど。出稽古の後、作戦を、どういくかを話していました」と頼もしそうに振り返っていた。

2つ目の金星


2回目は、豊昇龍をはたきこみ、ほうしょうりゅうは土俵に手をつきました。
藤の川は相手が力を入れてくる瞬間に、
さっと腕を払い引く、このタイミングが
めちゃくちゃうまいですね。
ほうしょうりゅうの悔しそうな顔、
やったぜええ、

前日の大の里に続き、2日連続の金星となった

3勝目(名古屋場所2日目):横綱・大の里にもろ手突きから土俵際まで追い詰められながらも、逆転の突き落としで勝利。1984年の小錦以来42年ぶりとなる「横綱初挑戦から3連勝」の記録に並びました。

4勝目(名古屋場所3日目):横綱・豊昇龍の強烈なかち上げに一気に土俵際へ押し込まれましたが、抜群の反応で右から突き落としを決めて4連勝を達成。佐田の山や小錦を超える戦後初の偉業となりました。

このものすごい豊昇龍(ほうしょうりゅう)の圧力に耐えて土俵ぎりぎりでの大逆転の相撲は大興奮ですね。
負けた横綱の悔しそうな顔、いやあ素晴らしかったよね

藤ノ川の強さの秘密 牛若丸の理由

藤ノ川に与えられたビッグチャンスは、

横綱・大の里との極秘の稽古でした。

ある日、
大の里の師匠である、二所ノ関親方は
父親の甲山親方に電話をしました
それは、
「動きの速い若手力士と大の里と稽古をさせたい」
という打診でした。
狙いは大柄な力士が多い中、足腰が強く動きの速い若手と対戦させることで、さらなる強化を図るためです・

藤ノ川と父親の甲山親方は、
またとない絶好の機会を快く受け入れました、
そして、

2026年3月
二所ノ関親方からの熱烈なオファーがあり、
極秘の出稽古が行われました。
藤ノ川は横綱、大の里と10番続けて取って2勝8敗だったのでした。

藤ノ川は、
「とりあえず、もう駆け引きとかなしで前に出ることしか考えてなかった」と、
真っ向勝負で胸を借りた。相手がたまらずはたくなど、持ち前のきっぷのいい相撲をみせたのです。

横綱との申し合いは藤の川2勝、大の里8勝
でしたが、内容はとても濃い結果となった。

「駆け引きなしで、前に出ることだけ」という藤ノ川が激しい突き、押しや喉輪で攻めると、受け止める大の里が逆襲という展開に。

177センチ、121キロの小兵は真っ向から挑み、横綱を押し出しで2度破ったのです。
藤の川の感想は、

「圧力がすごくて、からだも柔らかかったでです。本当にいい経験をさせてもらいました」
実際に横綱と対戦したことで藤ノ川は大の里との本場所での対策を本格的に練り直します。その結果、令和八年3月場所では引き落としで勝利、大の里が出てくる圧力を一瞬でかわし、引き落としをきめました。
「おやじも金星はなかったので、自分が取れてよかった」と、2代にわたる目標達成を喜んだ。
こうして二所ノ関親方の思いとは裏腹に、
藤の川は極秘の出稽古の効果を金星につないだのです。

家族との絆・母との約束

藤ノ川には悲しい、つらい出来事がありました。それは、
幼くして亡くなった妹と、看護疲れと精神的ストレスでで、がんを発症し、藤の川が8歳の時に母親が亡くなったのです。

生前、母親から、
「大きくなったらお相撲さんになってね」
という言葉が、藤ノ川の心を支え続けました。
藤ノ川は、
母親の願いをかなえることこそ自分の目標でした。藤ノ川の相撲の底力になっていて真っ向から当たっていく相撲のスタイルになっているのでしょう。

「大きくなったらお相撲さんになってね」
という母との約束を果たしたい!
これこそ藤ノ川の強さの秘密なのです。

秘密の特訓はしているのか?

ところで藤の川は特別な稽古、特訓
というような稽古をしているのかというと、
伊勢ノ海部屋の藤ノ川の圧倒的なスピードと土俵際のねばり強さを支える背景には、
「特別な練習(秘密の特訓)といった近道はなく、徹底した基礎の反復と、
幼少期からの英才教育という愚直な真実があります。

幕内最軽量でありながら、横綱戦4連勝を果たした彼の強さの裏側には、次のようなトレーニングの本質が隠されています。

秘密の特訓はない?徹底した「基礎」の反復

NHK『どすこい研』など、メディアの取材でも明かされている通り、藤ノ川の強さの秘密は隠された裏メニューではなく、部屋の伝統的な基礎稽古の圧倒的な質と量にあります。

独自の「すり足」技術で、足の裏を土俵から離さずに素早く動く「すり足」を徹底的に体に染み込ませています。足が土俵を離れないため、200kg近い巨漢力士に突き押されても力が分散せず、あの驚異的な「土俵際の残し」を生み出せます。

限界を超える「ぶつかり稽古」で首の怪我(頸椎椎間板ヘルニア)を乗り越えた後は、周囲の心配をよそに「立ち合いで手加減したら意味がない」と、全力でぶつかる稽古を徹底して繰り返しました。

父(元・大碇)から受け継いだ「3歳からの英才教育」

藤ノ川(本名:斉藤成剛)の最大の強みは、「物心つく前からの相撲漬けの環境」です。
元幕内・大碇(現・かぶとやま親方)の長男として生まれ、3歳の時から地元の相撲クラブで英才教育を受けて育ちました。
父親や弟たち(次男・碇潟いかりがた 、三男・夕剛ゆうごう)と日常的に稽古を重ねる中で、体重差のある相手の重心をどう崩すか、体を開くタイミングはいつか、という「身体的チェス(物理的な駆け引き)」の感覚が、特訓するまでもなく本能に刷り込まれています。

他部屋の猛者たちとの「出稽古・合同申し合い」

自身の伊勢ノ海部屋だけでなく、積極的に出稽古へ赴き、実戦形式の「申し合い」で出足を磨いています。
他の部屋の強豪力士たちと何度も稽古を交えてスピード相撲に対応する瞬発力を維持しており、場所前には10日間もの出稽古をこなすなど、小兵ならではの運動量をキープするための努力を怠りません。

三役昇進は濃厚

藤ノ川は令和八年名古屋場所では、
東前頭筆頭で8勝7敗と勝ち越し、2横綱も倒して殊勲賞も獲得していることから、
三役昇進の可能性は濃厚、秋場所からは、
小結に昇格し、さらに速攻相撲の醍醐味を
見せつけてくれるに違いないでしょう。
新三役に昇進すれば、「藤ノ川」のしこ名では2代目、4代目に次いで3人目。
初代から数えて149年間の歴史をつなぐ藤ノ川は「このしこ名で上がれていたら」と、31日の番付発表を心待ちにしています。

藤ノ川は令和の牛若丸として、
さらに金星、銀星の獲得が楽しみですね。

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それでは失礼いたします