白熊力士の四股名の由来と大の里の関係は?wikiと家族情報

令和6年7月名古屋場所が開催されていますね
二所ノ関部屋の白熊関は、現在東十両八枚目ですが、好成績を出して幕内に上がるのもあと少しです。「白熊」という四股名は珍しくて
どうして白熊なの?と気になる方も多いかと思いますのでその理由を紹介します。また、小中高と一緒に過ごしたすごい後輩、大の里との関係、
wikiプロフィールについても紹介します

大相撲の力士の中に「白熊」という四股名が初めて登場したのは、令和6年初場所の番付表に、
十両西六枚目に、「白熊」の名前が載りました。それまでは、高橋優太という四股名でしたが、
令和4年の春に日体大を卒業し、二所ノ関部屋に入門して令和四年五月場所に初土俵を踏み、
令和五年九月場所に新十両昇進を果たしている

白熊の四股名の由来

引用元:https://www.chunichi.co.jp/article/827635

白熊という四股名の由来は、二所ノ関親方が初めて高橋優太に会った時に、「筋骨隆々で肌が色白なことから白熊のようだ」と印象を抱いたことということです。

二所ノ関親方は日頃、「色白で筋肉が盛り上がっている体つきから、『北海のシロクマ』と呼ばれた(元大関の)北天佑さんみたいだなとずっと思っていた」と話しており、

「北海の白熊」と称された元大関北天佑(故人)のような相撲を取ってほしい
―と高橋関を指導しており、四股名の由来となりました

元大関の北天佑関はこちらです

引用元:https://www.mainichi-sumo.com/items/27809030

白熊と大の里の関係

白熊関(高橋)は、中学時代から大の里の1つ先輩でした。もう一人の先輩が嘉陽(かよう)でした
大の里は石川、白熊は福島、嘉陽は千葉の出身はばらばらの3人ですが、相撲留学で新潟の能生中学に集まったのですが、中学卒業後は、高校も同じく海洋高校、そして、日体大に進み、一緒でした。
そして、入門した相撲部屋も二所ノ関部屋で、家族といる時間よりも長い時間を一緒に過ごしてきました

新潟の中学と高校、日体大、角界に入ってからも、常に大の里にとって白熊は1学年上の先輩として一緒にいるのです、嘉陽は現在、中村部屋に所属しています

白熊と大の里はサウナ好き

引用元:https://saunabrosweb.jp/pickup_nisyonosekibeya_1/2024/01/14/

白熊と大の里は所属部屋が二所ノ関部屋ですが、愛知県安城市にある名古屋場所宿舎の中にはサウナもあるのです。相撲部屋でサウナがあるのは二所ノ関部屋が初めてのようですね

それも、二所ノ関親方は早稲田大学大学院スポーツ科学研究科の修士課程1年制を卒業しており、新しく取り入れたものの一つがサウナでした。二所ノ関親方はサウナが大好きのようで、毎日入るようですね
力士たちも汗をかいた後はサウナでリフレッシュしているのです

このように白熊関と大の里関も二人で仲良くサウナに入り疲れを癒しているんですね

白熊も週3~4日くらい、サウナに入っているようです

また、大の里が初優勝した時には、このようにオープンカーに乗り、旗手としてパレードに登場していますね。白熊は素晴らしい後輩をもったものです

大の里の小学校時代はどんな子だった?津幡小学校時代の身体や相撲の成績は?

白熊のプロフィール

引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E7%86%8A%E5%84%AA%E5%A4%AA

本名  高橋 優太
四股名履歴  高橋 → 白熊
生年月日  平成11年5月25日(25歳)
出身地  福島県須賀川市
身長  186.0cm
体重  166.0kg
得意技  右四つ・寄り
初土俵  令和四年五月場所
新十両  令和五年九月場所

白熊優太の家族

父親は高橋健一さんで母親は則子さん、父親は普通の会社員でお母さんはパートで
働く一般的なお母さんです
白熊は中学時代から親元を離れて、福島県須賀川市から新潟県の糸魚川市立能生(のう)中学校に相撲留学しました。福島から新潟までは180キロほど離れており、両親は心配もありましたが、
高橋少年は、もっと強くなりたいという一心な姿に、相撲留学を承諾したのです

兄弟は自衛隊勤務だそうです

相撲を始めたのは祖父の祥武さんのすすめで、関取になった時は大泣きして喜ばれたそうです
祖母は貞子さんで孫の白熊(優太)のことを応援しています

こうして家族中からの応援を受けて白熊は戦っているのです