大相撲で大きな注目を集めている安青錦。
ウクライナ出身という異色の経歴を持ちながら、土俵では低い体勢から相手の懐へ潜り込む独特の相撲で、多くのファンを魅了しています。
しかし、安青錦が注目されている理由は、相撲の強さだけではありません。
もうひとつ、多くの人が驚いているのが、
「安青錦はなぜ日本語がこんなに上手いのか?」
ということです。
インタビューでは、自分の気持ちを自然な日本語で表現し、時には日本人力士でも難しいような言葉の使い方を見せています。
来日した当初は日本語がほとんど話せなかった安青錦。
では、どのようにして現在の日本語力を身につけたのでしょうか。
そこには、相撲で強くなるために努力を続けた姿勢がありました。
安青錦が来日したのは2022年4月12日
安青錦が日本へやって来たのは、2022年4月12日のことです。
ウクライナから日本へ渡り、力士になるという大きな夢を持って新しい生活をスタートさせました。
来日後、安青錦は関西大学などで稽古を行いながら、日本での生活に慣れていきました。
その時に大きな支えとなったのが、関西大学相撲部主将でもある山中新大さんでした。
安青錦は山中新大さんの自宅に居候しながら、日本で相撲を学ぶ環境を整えていきました。
言葉も文化も違う日本で、最初は苦労の連続だったはずです。
しかし、この時期の経験が、後の安青錦の成長につながっていきます。
安青錦の来日時は日本語ゼロだったが、約3年7カ月で流ちょうに会話可能となった
習得方法は辞書は持たず、周囲の会話に耳を傾ける「習うより慣れろ」のスタイルで、部屋の力士たちと日本語でコミュニケーションを取り上達した 。
コミュニケーション能力は高く、2025年10月の外国特派員協会での1時間の会見も日本語でこなすなど、日常会話だけでなく公的な場でのスピーチもスムーズにこなせる能力を持つ 。
能力の背景にはウクライナ語、ロシア語を操り、国際的な場では英語も使用するなど語学に長けているのです
日本語学校にも通ったが、一番成長したのは相撲部屋だった
来日後、安青錦は日本語学校にも通いました。
しかし本人が語っているように、日本語が一番身についた場所は学校ではありませんでした。
それは、
相撲部屋での毎日の生活
でした。
入門した当初、安青錦は今のように流暢に日本語を話せたわけではありません。
稽古の内容。
親方の指示。
兄弟子との会話。
すべてを理解するためには、日本語を覚える必要がありました。
そこで安青錦が取った行動が、非常に大きなポイントでした。
それは、
「間違えてもいいから、とにかく話す」
という姿勢です。
また、相撲部屋という環境は日本語の習得には一番良い環境で
特徴的な学習スタイルと言えるのです。
耳からの自然習得: 教科書を使った座学ではなく、周囲の話を聞いて真似る「自然習得」が中心です。
自己分析と実践: 例えば、番付が上がって敬語を使う機会が減った力士が、自ら街に出て高齢者と会話して敬語を練習するといった、主体的な姿勢も見られます。
より詳しく知りたい場合は、専門的な分析がなされている 早稲田大学・宮崎里司教授の著書 などが参考になります。
早稲田大学大学院日本語教育研究科の宮崎里司教授は、自身の著書『外国人力士はなぜ日本語がうまいのか』(明治書院)のなかで、その理由は「強い動機と理想的な(日本語習得)環境にある」と書いている
「強い動機」とは、すなわち日本語の相撲界で成功することに対するモチベーションのこと。同教授は自身の研究室のWebサイトで、
朝日新聞に掲載された黒海関(旧ソ連・アブハジア自治共和国)のインタビューを紹介している。
(故郷が内戦状態となり)12歳だった93年秋、銃撃戦の中を6歳下の弟とグルジアの首都トビリシへ飛行機で脱出した。
両親は2千メートル級の雪山を歩いて越え、1週間後に再会を果たした。停戦は成立したものの、行き来はままならない。
相撲部屋での生活は、親方、おかみさん、兄弟子、後援会(タニマチ)など、常に日本語のみが飛び交う社会で24時間日本語から逃げられない世界。
おかみさんに単語カードを作ってもらい,露日辞典を肌身離さず日本語を覚えた。味覚の違いや相撲界のしきたりに戸惑いもした。でも、「帰ろうと思ったことは一度もない。戦争を経験し気持ちが強くなった」。
近年増えているモンゴルや、旧ソ連(ジョージア、エストニアなど)出身の力士たちは、このように過酷な環境を経験していることも多い。
「日本で必ず成功しなければならない」という思いが強いのは間違いないと言えそうだ。
過酷な共同生活で「1年で会話できるようになる」。元旭天鵬も「言葉が一番ストレスだった」
現在都内のモンゴル料理店で働く、モンゴル出身の相撲関係者の話によると「親方、女将さん、兄弟子、部屋のすべてが日本人という環境で共同生活をするので、
日本語を覚えざるを得ない。
“日本語がわからない”では生活できない環境だから、1年くらいで会話はできるようになる」と語る。
相撲部屋に入門すると、親方や女将さんのもとで、すべての力士が共同生活を送る。部屋によって若干の差はあるが、起床から就寝までタイムスケジュールはきっちりと決まっているようだ。朝の土俵の準備、食事の準備、稽古場の掃除など、相撲のトレーニング以外にも弟子たちはやることがたくさん…! 礼儀にも厳しい世界だから、自然と美しい日本語が身につくようだ
ほかのスポーツでは、これだけ過酷な共同生活を送るということもないだろう。外国人も日本人と同様に扱われるので、「日本語がわからない」では通用しないのだ。
前出関係者は「番付が上がっていくと、後援会など外部の人との接触も多くなったり、インタビューに答えたりする機会も多くなり、さらに日本語が上達していく」とも話す。
間違いを恐れず何でも話したことが日本語上達の理由

外国語を覚える時、多くの人は間違えることを怖がります。
「間違ったら恥ずかしい」
「相手に伝わらなかったら嫌だ」
そう考えて、話すことを避けてしまうことがあります。
しかし安青錦は違いました。
分からない言葉があれば聞く。
知らない表現があれば確認する。
間違っていても積極的に話す。
この姿勢を貫きました。
安青錦自身も、
「間違えてもいいから、できるだけしゃべった方がいいと思った」
という考えを持って日本語を学んできました。
この積極性こそが、短期間で日本語を身につけた最大の理由です。
「コツって何ですか?」分からない言葉を素直に聞く姿勢

安青錦の日本語上達を象徴するエピソードがあります。
名古屋場所で霧島を相手に内無双を決めた後、記者から、
「内無双を決めるコツは何ですか?」
と質問されました。
すると安青錦は、
「コツってなんですか?」
と聞き返しました。
普通なら分かったふりをして流してしまう場面かもしれません。
しかし安青錦は、知らない言葉をそのままにしませんでした。
意味を確認し、理解しようとする。
この姿勢が、日本語だけでなく相撲技術の吸収力にもつながっています。
安青錦が日本語を覚えた本当の理由は「強くなるため」

安青錦が日本語を勉強した理由は、日本語を話せるようになること自体が目的ではありませんでした。
目的はただひとつ。
相撲で強くなるためです。
師匠である安治川親方の指導を理解する。
自分の考えを伝える。
稽古で仲間とコミュニケーションを取る。
そのためには日本語が必要でした。
安青錦は、
「親方が言っていることが分からないと強くなれない」
という気持ちを持っていました。
だからこそ、必死に日本語を覚えたのです。
そして安青錦の入門からの成績を見てみると
2023
九州場所 序ノ口 7勝0敗 優勝
2024
初場所 序二段 7勝0敗 優勝
春場所 三段目 6勝1敗 優勝
5月場所 幕下40 6勝1敗 -
夏場所 幕下4 6勝1敗 -
十両昇進 関脇(有給のプロ)になる
九州場所 十両 10勝5敗
2025
初場所 十両 12勝3敗 優勝
入幕を果たす
春場所 前頭15 11勝4敗 敢闘賞
5月場所 前頭9 11勝4敗 敢闘賞
夏場所 前頭1 11勝4敗 敢闘賞
秋場所 小結 11勝4敗 技能賞
九州場所 関脇 12勝3敗 幕内初優勝
2026
初場所 大関 12勝3敗 新大関優勝
春場所 7勝8敗
夏場所 0勝0敗15休
12勝3敗 幕内優勝 技能賞
日本語力の高さは安青錦の努力の証

現在、安青錦はインタビューでも自然な日本語で話し、ファンを驚かせています。
時には冗談を交え、
「男前になりました」
と笑わせることもあります。
また、優勝争いについて聞かれた時には、
「気にしていないと言ったら、それはウソと思う」
と、自分の本音を日本語で表現しました。
これは単に単語を覚えただけではできません。
日本で生活し、日本人と交流し、相撲部屋で毎日努力してきたからこそ身についた日本語です。
まとめー安青錦は語学の天才
安青錦が日本語が上手い理由は、特別な才能だけではありません。
2022年に来日し、山中新大さんの支えを受けながら日本で生活を始め、日本語学校にも通いました。
しかし、本当の意味で日本語が成長した場所は相撲部屋でした。
分からないことを恥ずかしがらず聞く。
間違えても積極的に話す。
親方の言葉を理解して強くなるために努力する。
この姿勢が、現在の安青錦の高い日本語力を作り上げています。
土俵では低い体勢から相手の懐へ入り込む相撲。
土俵外では流暢な日本語でファンを魅了する姿。
安青錦の魅力は、強さだけではなく、日本で成長し続ける努力する姿にもあるのです。
ウクライナ初の大関となった安青錦関は、流ちょうな日本語で口上を述べました。
およそ3年半前に来日し、当時の関大相撲部主将、山中新大さんの自宅で居候した安青錦関は相撲道の上達とともに、日本語の会話能力もめきめきと力をつけていきました。
山中さんと会ったときはスマホの翻訳アプリを使って、会話していましたが、次第にアプリの力を借りずに話せるようになったそうです。
安青錦関は2022年2月のロシア軍のウクライナ侵攻がなければ、地元の大学への入学が決まっていたそうです。
恩師のワージャさんは「ダーニャ(安青錦関の愛称)は昔から賢い子だった」と振り返ります。アマチュア相撲の世界大会に行けば、英語を使って各国代表の力士たちとも交流を交わしていたそうです。
一方で、故郷ビーンニッツァは旧ソ連時代からロシア語を話す人たちも多く、2014年以降のマイダン革命以降は、一気にウクライナ語の普及が進みました。
安青錦関はこれで日本語、ウクライナ語、ロシア語を流ちょうに操ることができる語学の天才であるということもできます。
これに加え、英語力もあるため、得意の語学力を使って、将来は、日本の相撲文化を海外に進める親善大使の役割を果たすと思います。