玉鷲の1630回連続出場の偉業達成!その裏に隠された真相がヤバイ

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大相撲の玉鷲は令和6年秋場所二日目で
初土俵から通算1630回連続出場という、歴代一位と並ぶ記録を達成しました
さらに新記録を出して現役続行をして
いく玉鷲の相撲についてや、親方衆の声
鉄人と言われる玉鷲の相撲人生について
今回は紹介していきます

通算1630回連続出場

幕内最年長の39歳で前頭10枚目の玉鷲は、
令和6年の名古屋場所を終えて、
初土俵からの通算の連続出場を1628回とし、
単独2位となっていました
9月に入り、
幕内最年長の玉鷲が秋場所2日目の9日の取組で、
初土俵からの通算の連続出場を1630回とし、
歴代1位に並びました
玉鷲はまだまだ元気いっぱいで今後も記録更新に
大きな期待がかかるでしょうし、若手力士にも
見習うべきことも数多くあるはずですね

八角理事長も高評価

日本相撲協会の理事長である八角理事長も
「玉鷲にもけががあったと思う。ちょっと痛いと言って、
休む人が多いなかで立派だ。続けることが大事。
気持ちの強さがあるからできる」
と高く評価しています

高田川親方も大絶賛

審判部の部長 高田川親方「相撲に対する真摯な気持ちがある」
「立派だ。稽古も真面目だし、相撲に対する真摯(しんし)
な気持ちがある。相撲内容もどんどん前に出ているし、
好感が持てる。鉄人だ。まだまだ頑張ってもらいたい」と話していました。

玉鷲は最年長での優勝

モンゴル出身の玉鷲は幕内最年長の39歳。

片男波部屋に入門し、平成16年の初場所で初土俵を踏みました。

入門前に相撲の経験はありませんでしたが、徹底して突き押し相撲を鍛え、平成20年の秋場所で新入幕を果たしました。

その後、数年間は幕内と十両を行き来しましたがのど輪や突っ張り、はず押しといった多彩な技を用いた激しい突き押し相撲を磨いて平成27年の春場所で新三役、小結に昇進しました。

初土俵から所要66場所での新三役は、外国出身力士として歴代1位のスロー昇進でした。

そして平成31年の初場所、関脇で初優勝しました。

34歳2か月での初優勝は年6場所制が定着した昭和33年以降2番目の年長記録でした。

さらに東の前頭3枚目で迎えたおととしの秋場所で2回目の優勝を果たしました。

37歳10か月での幕内優勝は年6場所制が定着した昭和33年以降、旭天鵬の37歳8か月を抜いて最年長の記録でした。

玉鷲はこのほか、幕内での出場回数が1334回で歴代単独6位、幕内での連続出場が989回で歴代単独7位としています。

10日の3日目に出場すれば通算の連続出場が単独1位となるほか、幕内での連続出場は990回となり、宝富士に並んで、歴代6位となります。

「鉄人」と呼ばれる玉鷲はけがの少ない丈夫な体で、40歳を目前にしても年齢を感じさせない張りのある体で土俵に上がり続けています

玉鷲のプロフィール

引用元:https://tachiai.org/tag/tamawashi/


四股名 玉鷲 一朗
本名 玉鷲 一朗
(モンゴル名:バトジャルガル・ムンフオリギル Батжаргалын Мөнх-Оргил)
愛称 オギ、鉄人
生年月日 1984年11月16日(39歳)
出身 モンゴル人民共和国の旗 モンゴル・ウランバートル市
身長 189cm
体重 178kg
BMI 49.83
所属部屋 片男波部屋
得意技 突き、押し、小手投げ
成績
現在の番付 東前頭10枚目
最高位 東関脇

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相撲を始めたきっかけ

引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/674d656dc9b3b219c89165ba4548526cbc4ee813

玉鷲は特にモンゴルで相撲や
レスリングなどの競技をしていたわけではないのですが
体が大きいということで、当時お姉さんが東大の大学院に留学しており、
姉を頼って2003年の秋に来日。姉と二人で両国を訪れ、
たまたま見つけた力士について行ってみたところ、
井筒部屋に着き、そこで同郷の鶴竜と出会ったのでした。
鶴竜に入門の相談をし、旭鷲山の連絡先を教えてもらい、
それが縁で片男波部屋に入門し、2004年1月場所で初土俵を踏んだ。
入門前にスポーツ経験はなかったのですが、
2008年1月場所において新十両へ昇進という素晴らしい実績を出しており、
相撲のセンスを生まれつき保持していたと言えるでしょう

玉鷲が初土俵の頃とは

玉鷲の初土俵は平成十六年一月場所で当時の上位陣は
横綱が朝青龍で15戦全勝しています
横綱は1人で大関が栃東・千代大海・魁皇・武双山の4人
関脇は土佐ノ海・玉乃島、小結は栃乃洋・君の里という顔ぶれで
朝青龍全盛期の時代でした
2004年1月ということで20年も前のことなんです
20年間も現役力士でいられるのがまず、すごいことなんです

玉鷲の幕下時代に首痛を荒療治で克服

今では鉄人といわれる玉鷲ですが、幕下時代にはケガをして
ピンチの時があったのですが

片男波部屋の若い衆が生活する大部屋の壁には、明らかに周囲とは異なる変色した箇所がある。
幕下時代の玉鷲が1年間、地方場所で不在の間以外、同じ場所に頭をグリグリと
押しつけて寝ていたためだ。毎日少量ずつ、びん付け油が付着し、壁は変色した。
玉鷲は当時を「首を痛めて本当にきつい時期だった。骨も異常があったと思う。
首を筋肉で固めるため、壁に頭を押しつけて横になっていたら、
壁の色が変わっちゃった」と笑って振り返った。

痛む首に負荷を掛けるため、当然激痛が走る。心休まるはずの睡眠時間が、
辛い時間になった。それでも当時知り合ったトレーナーから
「荒療治だが将来を考えれば、首の筋力強化が力士生命を延ばしますよ」と言われ、
四六時中痛みに耐える生活を1年間続けました。
「自分の相撲は頭から当たるから首は大事だった。あの時に首を治せたから今がある」。
そんな玉鷲の努力がにじむ壁を見て、片男波部屋の力士は玉鷲への尊敬の念を深めている。

玉鷲の強さの秘密と記録が途切れそうな危機

記録が途切れそうな危機は何度もあった。
ガラスに右腕を突っ込み、48針も縫う大けがをしたこと。
トイレで立てない程、膝を痛めていたこと。突然、めまいに襲われ、
土俵に上がるだけで怖くなったこと…。
それら全てを乗り越えて、この偉業はある。
ただ、本人は殊更、誇ろうとはしない。
「自分1人だったら、ここまで来ていない」と考えているからだ。

師匠の片男波親方(元関脇玉春日)は
「たくさん遊び、たくさん稽古しなさい」と、
昔も今も厳しい指導で心身を追い込んでくれる。
足首を痛めて休場が頭をよぎったとき、踏ん張って
出場を続けたのは、場所後に家族で海外旅行に行く予定があったからだ。
「みんなのおかげなんです。みんなつながっている」。
周囲の愛情を自分の力に変えていける感性こそ玉鷲の強さである。

玉鷲の連続出場記録がどこまで伸ばしていけるのか、今後も見守っていきましょう

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