隆の勝の出身中学と相撲を始めたきっかけ!子供の頃のライバルは?

隆の勝が相撲を始めたきっかけ

父親の石井俊哉さんは大相撲観戦が好きで、
地元の千葉・柏市は相撲が盛んな街で
幼稚園や小学校に相撲大会出場を勧誘する
チラシが多数張られており、
相撲クラブに所属していない少年も積極的に
参加していたということで相撲は柏市民に
親しまれているスポーツです。
丸顔に癒やし系の笑顔で“おにぎり君”の愛称で
親しまれる隆の勝は子供のころから体が大きくて、
相撲との出会いは相撲好きな父親と相撲の町
という環境にピッタリだったのです。

小学時代から将来のライバルと稽古

引用元:https://www.asahi.com/articles/ASQ5S7D91Q5PUDCB015.html

真ん中の子が隆の勝です

隆の勝は小1のときに初めて地元の相撲大会に参加。
小3から柏市スポーツ少年団で本格的に相撲を始めました。
同学年には大翔鵬(現東十両九枚目)、
後輩には元横綱琴桜を祖父に持つ琴桜(現大関)や
琴勝峰(現西前頭四枚目)が在籍していて、将来プロの
力士として活躍するライバルと稽古をしており、
強豪の相撲クラブチームだったのです。

引用元:https://kashiwainfo.net/sumo-6/

中段一番左が隆の勝です.

最前列の左から2番目が琴桜(琴ノ若)
1番右の青い服が 琴勝峰
右から2人目が 柏王丸


隆の勝は小学4年生から6年生までわんぱく相撲全国大会に出場
していました

隆の勝の中学時代

隆の勝は千葉県柏市立西原中学時代は柏市スポーツ少年団
に続けて稽古をしていました

隆の勝は
「中卒で大相撲に入るまでずっと通っていました。
稽古は厳しかったけど、小さい頃はとにかく
相撲が楽しかった記憶があります。
クラブには全国で2位、3位になるような強い子もいて、
僕も小4から小6までわんぱく相撲の全国大会に出場して
いましたが、飛び抜けて強いわけではありませんでした」

クラブの練習は1日4時間で、土日の週2回。他のスポーツは
習っていないため、平日の放課後は友達と遊ぶ時間が
多かったが、学年が上がるにつれて、クラブ以外での
稽古時間が増えたということで、子供のころから
稽古熱心だったんですね

家での稽古についても隆の勝は、

「家では週に2、3回はみっちり四股を踏んでいました。
回数はあまり覚えていないけど、30分くらいだったかな。
めちゃくちゃ厳しく指導されたわけじゃありませんが、
父親の監視の下で踏んでいたことを覚えています」
ということでお父さんにも厳しく自主的に稽古することを
進められていたのです

隆の勝は6人兄弟

6人兄弟の4番目として生まれた。
母親の雅代さんは整体師。相撲を始めた頃から、
痛いところがあれば、すぐに治療をしてくれた。
今でも実家に戻ると体を診てくれるという。
両親は子どもたちを特別厳しく育てたわけではないが、
隆の勝にとって印象深い「ルール」があるのです。

「テレビゲームはいいけど、携帯ゲームは禁止されていましたね。
他の家だと『目が悪くなるから』『勉強をしなくなるから』って
理由が多いと思うんですけど、うちの場合は『姿勢が悪くなるから』
とよく言われました。
ゲームに限らず姿勢のことはよく注意されていましたね。
いま思うと、整体師らしい視線だなと思います。
ちなみに、今も携帯ゲームはやっていませんよ(笑い)」

角界に進んでも兄弟が支えに

https://twitter.com/junai0115/status/1326068783249723403

大家族の存在は今でも力になっている。
場所中は家族のライングループに母親が自身の取組動画を投稿。
負けが込むと、姉からは「顔が死んでいるよ」と一喝される。

「昔から家族はみんな応援してくれた。今もだけど、
家族の存在はずっと力になっています」

春場所では初めての敢闘賞を受賞するなどブレークした。
力のある突き押し、右を差して素早く寄る相撲も目立ったが、
現在の形が確立され始めたのは最近のこと。

「自分の相撲をつかみ始めたのは出稽古を積極的にするように
なった3、4年前くらいからです。自分の型というのは、
本来なら早めに決めた方がいいのかもしれないけど、
今となっては焦らずに決めなくて良かったのかもしれない。
だからこそ、若いときから四股やすり足の基礎(運動)で
体をつくることが重要だと思う」

師匠の千賀ノ浦親方(元小結隆三杉)や同部屋の力士が
口をそろえて「稽古熱心」と評価する真面目な性格。
地道な鍛錬で自身と向き合い続け、その才能を開花させた。

隆の勝のプロフィール

◆隆の勝伸明(たかのしょう・のぶあき)
本名・石井伸明。
1994年(平6)11月14日、千葉県柏市生まれ。
小3から柏市スポーツ少年団で相撲を始め、
小4から小6までわんぱく相撲全国大会出場。
先代千賀ノ浦親方(元関脇舛田山)からの誘いを受け、
千葉・西原中を卒業後、千賀ノ浦部屋に入門。
10年春場所で初土俵。17年九州場所で新十両、
18年秋場所で新入幕。20年春場所では12勝3敗の好成績で
初の敢闘賞を受賞。

家族は両親、兄、姉2人、妹、弟の8人家族。
183センチ、163キロ。血液型O。得意は押し。