伯桜鵬哲也(落合)の四股名の読み方や由来は? 高校時代の成績やプロフィール

2023年7月の名古屋場所で新入幕したばかりの伯桜鵬(落合)哲也は
優勝争いにも加わり、千秋楽では関脇・豊昇龍と激突しましたが、花田虎上氏が「いい度胸してる」
「昭和に戻ったみたいで安心する」などと述べ、“令和の怪物”に
あらためて感嘆する一幕があり、国民の注目を浴びました
109年ぶりとなる新入幕での歴史的な幕内優勝は逃しましたが、生れてはじめての幕内でなんと、11勝4敗の成績で

敢闘賞 技能賞の2つも獲得したのですが、最初は相撲が大嫌いでした。

そこで今回は伯桜鵬の小学生時代の予想外の話と高校時代のすごい成績、伯桜鵬(落合)のwikiと成績!四股名の読み方や由来についてご紹介します。そして、伯桜鵬が高校を卒業してからのブランクがありますのでそのブランクの理由と角界入門までの話もしていきます
ぜひ、最後までご覧ください、ではどうぞ

2023年7月の名古屋場所で新入幕したばかりの伯桜鵬(落合)哲也は相撲関係者の注目を浴びました
生まれてはじめて大相撲の幕内でなんと、11勝4敗の素晴らしい成績で
敢闘賞 と技能賞の2つも獲得したのですからさすが、令和の怪物です。
超スピード出世で四股名が間に合わなかったということなのです

この動画ででわかることは

  1. 高校卒業後のブランクの理由
  2. 元横綱、白鵬と落合の関係
  3. 四股名の読み方や由来
  4. 伯桜鵬哲也(落合哲也)のwikiプロフィール
  5. 落合哲也が相撲に進んだきっかけ
  6. はじめは相撲が大嫌いだったが救いの神はこの人
  7. 伯桜鵬の小中学生時代の相撲の成績
  8. 落合哲也の中学時代のメッセージ
  9. 伯桜鵬の高校時代の相撲の成績


 などがわかりますので最後までごゆっくりご視聴ください

高校卒業後のブランクの理由とは?

落合は高校卒業後、すぐにはプロ入りせずに肩の手術

もともと肩の脱臼の癖があった上、激しい立ち合いを繰り返したことで
症状が悪化したため、治療とリハビリに専念したのでした。

<落合の治療画像はこれです>

落合は
「不安な気持ちがある中で、中途半端な気持ちでプロには行けない。
時間をかけてでもしっかりと自分の体を治して、さらに強くなって
からプロに行こうと思っています
としっかりしたマインドを持っていますし、それが本当に良かったのです

ジム通いに加え、母校でも稽古。合間には後輩を担ぎ上げて
ウエイトトレーニングに努めました。体脂肪率を落としながら
体重を5キロ増やし、立ち合いの瞬発力がさらに増したのです。

<落合のリハビリ画像はこれです>

自分の肩の回復とさらに筋力を高めての角界入りをするというプロ意識をもって
自分を鍛え上げたのです
鳥取でのリハビ中はお父さんが温泉に連れて行ってくれたようですが
その時だけは唯一リラックスできるひとときでした

初めての一人暮らしで自炊をすることでも精神的に鍛えられ、
黙々と心と体を鍛え抜いた落合。2022年9月、高校卒業後初めて父親の会社に
所属してから実業団相撲に出場したのですが
実業団の日本一を決める大会で見事優勝を果たし、幕下15枚目格付け出し
の資格を得たのです

<<元横綱、白鵬の宮城野部屋に入門>>

<落合のスーツ姿画像はこれです6Lだそうですよ>

2022年12月、治療とリハビリを終えてベストコンディションの体を作り上げ
いよいよ落合は元横綱、白鵬が師匠になる宮城野部屋に入門

『大相撲で横綱になる』という思いを、宮城野部屋でかなえたいと
思っています。宮城野親方のように日本の大相撲を盛り上げられる
横綱になりたいです」
と入門するときから横綱になるという決意表明をしているんです
これが小学生からの目標なんです
まだ、19歳だというのにこの自信満々の目標が言えるのは大したものです
素晴らしい力士の誕生ですよね

白鵬と落合との出会いは?

落合少年が横綱の白鵬に始めて出会ったのはまだ、相撲が
嫌いな頃で小学4年生でした
白鵬が主催する白鵬杯というのが2月に行われたのですが
落合少年のチームが優勝して直接、白鵬との触れ合いがありました
伯桜鵬はその時のことをこのように話しています

伯桜鵬「その大会に鳥取県チームとして出ることになったんです。
そのとき目の前に。当時横綱ですけど、子どもたちと触れあってくれて。
たまたま団体で優勝したんです。優勝したら親方からメダルをかけて
もらうんです。それが初めての出会いです。一緒に写真を撮ってもらって」

この時は白鵬との会話はあまりないようですが

白鵬と落合少年と次の出会いは小学6年生の時でした
鳥取県倉吉市で行われた巡業で、関係者のはからいで当時の横綱・白鵬と
対面し会話をしたのでした

白鵬「名前は?」
「落合哲也です」
白鵬「哲也くん。何年生?」
「6です」
白鵬「来年中学生か」

あいさつの後、落合少年は、白鵬にこう宣言したのです
「自分は将来横綱になって、白鵬関の記録を抜きたいです」
白鵬「おう、ぜひ。簡単に抜かれたら困るから、俺ももう少し頑張らないとね」
と言いながら白鵬は、笑って答えていました

2022年11月に宮城野部屋に

「何回も鳥取城北に足を運んで、ようやく私のラブレターが
届いたんじゃないかなと思っています。琴櫻以来、
鳥取県から2人目の横綱を作りたい」
という師匠と落合とは熱い絆で繋がっているのです

伯桜鵬の読み方

令和五年一月場所で幕下十五枚目格付出で「落合」 という四股名で
初土俵を踏みましたが、たった1場所で新十両になり、十両も2場所で通過
7月からは新入幕となり、四股名は「伯桜鵬」ですが、本当は、新十両に昇格すると
四股名が変わりますが、超スピード出世で間に合わなかったのです

大相撲・伯桜鵬関の四股名の読み方は「はくおうほう」です。

落合本人は

「師匠と一緒に相談して師匠の『鵬』という字をいただいて、
地元にゆかりのある字を入れていただいた。
良いしこ名をつけていただいたので、すごくうれしい気持ち」

と話しています

伯桜鵬の四股名の由来

伯桜鵬関の四股名の由来を1文字ずつ見ていきます。

まず「伯」は落合の出身地である鳥取県倉吉市を含んだ地域が、古くから
「伯耆国(ほうきのくに)」と呼ばれていたことにちなんでいます
倉吉市の観光名所「白壁土蔵群」の画像はこちらです

<<白壁土蔵群の画像>>

「桜」は伯桜鵬(落合)が小学4年生の時、倉吉市出身の元横綱・琴櫻を
たたえて行われている相撲大会「桜ずもう」に出場して優勝経験もある
ということから採用しました。相撲を本格的に始めたきっかけなんです

<<桜ずもうの画像>>

昭和48年に第53代横綱に昇進した琴櫻は、激しい出足と当たりの強さ
から「猛牛」の異名をとりました。その琴櫻と落合は、同じ成徳小学校の
出身。小学校のすぐそばには、横綱土俵入りをする琴櫻の銅像が建っています。
「桜」の文字を入れたということで、「桜を咲かせたい」という思いも
込められています

宮城野親方(元横綱白鵬)は去年12月、落合の入門会見で、
「琴櫻以来の鳥取県2人目の横綱を作りたいという気持ちだ」と語っています

<<琴櫻の銅像>>

<<伯桜鵬(落合)哲也のwikiプロフィール>>

<伯桜鵬の画像はこれです>

平成15年8月22日生まれ
鳥取県倉吉市出身
身長180cm
体重150㎏

倉吉市立成徳小学校
鳥取市立西中学校
鳥取城北高校

伯桜鵬関の父の名前は落合勝也さんで、鳥取県倉吉市で
有限会社野田組を経営しています。

野田組は金属加工機械製造業の会社です。

勝也さんは2023年1月時点で58歳なので、
2003年8月22日生まれの伯桜鵬関は、
父が39歳くらいの時の子供になりますね。

伯桜鵬関の母の名前は和美さんです。
伯桜鵬関も通った認定こども園倉吉幼稚園の
副園長をしています。

相撲を始めたきっかけ

伯桜鵬関、当時は落合哲也さんですね。

落合哲也さんが相撲を始めたきっかけは小学4年生の時に
小学校で行われた「桜相撲」で優勝したのがきっかけだったそうです。
はなわとの対談では以下のように答えていました

はなわ「どのタイミングで相撲を?」

 伯桜鵬「小学校は倉吉市の成徳小学校なんですけど、
そこの大先輩が横綱琴桜関。地元のスターで、
相撲というものがすごく近かった。琴桜関をたたえた
『桜ずもう』というのが地元にあって、男3人兄弟で
3人とも相撲はしてなかったんですけど、その相撲大会に
だけは2年生から出場していて。4年生から出られる個人戦で、
たまたま優勝しちゃったんですよ。その大会に優勝すると、
両国国技館のわんぱく相撲全国大会に出られるんです。
4月に『桜ずもう』があって、わんぱく相撲は8月。
その4カ月間は相撲の練習をちょっとしてみろと父に言われて」

ということでたまたま桜相撲で優勝したのがきっかけなんですね

本当はサッカーをしたかったそうですがお父さんから「相撲をやれ!」
と言ってはじめたそうで最初は嫌だったのですが、今では大好きになりました。
そしてもっと強くなって「大相撲の横綱になりたい!」という気持ちに
なったそうです。
「哲っちゃんなら日本一になれる」と友達が支えてくれたことも相撲を
やる気にさせたんです。

ということで相撲を始めたきっかけは小学4年生の時の「桜相撲」でした

伯桜鵬は相撲が大嫌いだった時、救いの神は?

伯桜鵬は

小学4年生の4月にたまたま出た桜相撲で優勝しちゃって8月の東京の両国国技館の
わんぱく相撲全国大会に出ることになり、お父さんのスイッチがはいったのでした
本番までの4か月は父親に強制的に相撲の稽古をさせられたのですl

そんな伯桜鵬っというか、落合少年は相撲が大嫌いだったんですよ

それも伯桜鵬本人がはなわとの対談で次のように語っています

伯桜鵬「サッカーと相撲を両立して練習してたんですけど、
1回目の練習から相撲の厳しさ、怖さというのを体験して
絶対やりたくないって。まず頭で当たるじゃないですか。あれがほんとに
怖くて痛くて。父が学校まで迎えに来てくれるんですけど、
車の中でずっと泣いてました。『行きたくない』って」

伯桜鵬「父が学校に迎えに来たとき、ぼくは行きたくないから
学校で隠れてるんですよ。そうすると、父が先生に『ちょっと探してくれ』
って言って。先生たちがワーッて探しに来て父の車に乗せられて。
逮捕されたような気分でした」

ということがあったそうですが今では信じられないですよね
でその時の成績はベスト16でした
落合少年はこれで大好きなサッカーに戻れると思いましたがお父さんは
相撲をやれと強要したのでした
その当時のことを伯桜鵬は以下のように話しています

伯桜鵬「終わってサッカーに戻ろうと思ったら父がもう相撲に火がついちゃって。
無理やりやらされたんです。だから1年間ぐらいは相撲大嫌いでした」

ということで最初は相撲が大嫌いだったんです

小学4年生のとき、同学年で当時の全国チャンピオンと鳥取城北高で
練習することになったのですが、その時のことを伯桜鵬はこのように話していました

「ボッコボコにされたんです。壁まで吹っ飛ばされて。まわしを巻いたまま稽古場
から走って逃げて、野球部の室内練習場に隠れたんです」

そのときに入門前の逸ノ城が、心配して追いかけてきてくれて。泣いている
落合少年に「頑張れ」と優しく声をかけてくれたのでした

逸ノ城もモンゴルの怪物と言われるように数々の記録保持者なんですが
伯桜鵬は「逸ノ城関がいなかったら、相撲をしていなかったかもしれない」
と話しているのです

伯桜鵬が新入幕して109年ぶりの新入幕優勝も期待されていたので
『周りを気にせず頑張れ、自分なりにいけよ』と言ってくれたことに
感謝しているのです

ちなみに逸ノ城は2014年秋場所で 新入幕で三役力士の大関稀勢の里、
大関豪栄道、横綱鶴竜を破っており、モンゴルの怪物が
令和の怪物を救っていたのです

いい話だと思いますよね

学生時代の成績

小学生時代の成績は
「桜相撲」で優勝し、小学4年生からいやいや相撲を始めるのですが、
小学5年生で全国わんぱく相撲大会2位
全国小学生優勝大会3位
と落合哲也さんは小学生のころから好成績を残しています。

中学生時代の成績

鳥取市立西中学校に進学して3年生の時には全国中学相撲大会3位

本格的に因幡相撲道場に入門して本格的に相撲を始めたので
白鵬杯では優勝することができました。

その時の落合哲也さん本人のメッセージがありましたので紹介します。

落合哲也さん中学時代のメッセージ

僕は 4年生の時に学校の桜相撲で優勝したのがきっかけで相撲を始めました。
そして「もっと相撲で強くなりたい!」「横綱になりたい!」と思い、
成徳小学校を卒業して鳥取西中へ進学しました。
友だちに「哲ちゃんなら日本一になれる!」と言われてその気になってしまいました。
そんな時、同学年で一番強い子が遠征で鳥取に来ているから「やってみろ!」と
父に言われ、鳥取城北高校相撲場に行きました。日本一の 4 年生力士は、体格は
変わらないのにとても強そうに見えました。土俵に入って仕切り線に手をつき、
構えた瞬間がかっこいいなんて思っていると「はっけよい!」の声がかかった瞬間、
すぐに相手が吹き飛ばされたのです。それを見たら僕は恐怖で動けず、真剣に相撲を
やめたいと思いました。学校で友だちに「相撲はどうだった?」と聞かれ、
「日本一なんて、そんなに強くなかったよ!」と嘘をつきました。でも、父は
「哲也、日本一にならないとお前は嘘つきになってしまうぞ!」と僕の気持ちを
見抜いたように言うので、この嘘が大変なプレッシャーになり続けました。本格的に
因幡相撲道場に入門してやっと稽古に慣れた頃、ゴーンという音と共に頭に大きな
衝撃を受け、恐怖が僕を襲いました。監督に怖がってはダメだと言われましたが、
どんどん頭が痛くなり、腫れて大きくなってくるので父も固まっていました。普段、
物事に動じない父が怖がっていたので、僕はものすごく怖くなりました。もう稽古は
終わりだと思っていた僕に父は「行け!」と言いました。その時は本当に痛さと
悔しさで涙が止まりませんでした。あれから5年、中学校生活最後の大会で僕はついに
個人優勝をすることができました。いつももう少しの所で勝てず、悔いの残る試合も
多かったのですが、成徳の友だちが言ってくれた「哲ちゃんなら日本一になれる!」
の 1 回目の達成ができた喜びを感じています。相撲の道はまだまだ厳しいと思うけれど、
倉吉市出身の大先輩である琴桜関を目指して、僕はこれから本当の闘いに挑戦します! 落合哲也

このようにすでに中学時代から自分の将来の目標をしっかり立てているので
日本一の横綱になるために痛くて苦しい思いにも耐えてきたのです
小学校、中学校の時は一時は怖くて相撲をやめたいときもあったなんて
今では予想もできないですね。

伯桜鵬(落合)の高校時代の相撲の成績

2021年12月5日1第70回全日本相撲選手権で

鳥取城北高3年の落合哲也が、高校生でありながら
全日本選手権で8強入り大相撲の三段目100枚目格付け出しの資格を
手に入れました

しかも2019年の同大会の王者
谷岡倖志郎(近大職員)を破ったんだからすごいです。

落合哲也(鳥取城北高)が2010年第59回大会の中村大輝(現の北勝富士)以来
11年ぶりとなるベスト8進出
高校生で8強入り達成できるなんてすごい!

落合の心は勝つことだけしか考えていなかった!
「相手がどうのこうのより、かかってこいという気持ちだった。
たたきのめすつもりだったので悔しい」と強気のイケイケマインド
で緊張もせずとても落ち着いた状態で勝負に挑んだのは見事でしたが
落合はベスト8では悔しかったと思っているので素晴らしい精神力だといえます!

そして
第99回全国高等学校相撲選手権大会で優勝し、昨年に続く2年連続の
高校横綱となり、素晴らしい成績を残しているのです

その時の個人戦の結果は

優勝 落合 哲也(鳥取城北) 🏅高校横綱
2位 大森 康弘(金沢学院大附)
3位 ソソルフー(鳥取城北)
3位 藤田 一翔(三本木農業・恵拓)

鳥取城北高校時代の成績をまとめると

2年生の時は

全国高等学校相撲選手権大会優勝 高校横綱

「立川立飛・元日相撲」元日大会優勝

全国高校選抜大会優勝

3年生の時は

全国高等学校相撲選手権大会優勝 高校横綱

第70回全日本相撲選手権8強入り

高校時代の落合哲也の試合への取り組み方がすごいのは

2021年8月の高校横綱になった時のインタビューでは

「強いやつが勝つのではなくて勝ったやつが強いんです
俺たちが一番強いんだという気持ちで命を懸けて臨みました。」
と力強い声を聴かせてくれました。

ということで伯桜鵬は小学生の時から相撲の成績が常に上位をキープしており、
高校時代や実業団でも優勝を果たしてきました

大相撲においても伯桜鵬は師匠の宮城野は「本当に相撲を知っている。」
と高く評価されています。一方、武蔵川親方(元横綱武蔵丸)は守りの
相撲だという声もあるが、組んで良し、離れて良しと相撲技術に関しては
ベテラン並みと言われているのです。その証拠に

初土俵からたった3場所で新入幕入りを果たし優勝争いにも入るなど
令和の怪物と言われる記録を打ち立ててきたのです

親方や相撲ファンの期待を背負ってまずは、三役へとこれから伯桜鵬の
ますますの活躍が楽しみですね

最後までご視聴いただきましてありがとうございました