八角理事長(親方)の現役時代の四股名と由来
八角理事長は61代横綱 北勝海 信芳(ほくとうみ のぶよし)といい、現在は日本相撲協会の理事長という立場でトップです。初土俵は昭和54年3月場所で、本名である「保志」という四股名でした。北勝海(ほくうとうみ)という四股名は大関昇進した昭和六十一年九月場所からで、それまでは保志(ほし)という本名でした。最近では新十両昇進すると改名する力士が多いのですが、八角理事長は改名が遅かったのです。北勝海’(ほくとうみ)という四股名の由来は、以下の通りです。
北勝海の四股名の由来
初土俵から本名の「保志」(ほし)で相撲をとり続けていたため本人曰く、「志を保つという意味もある。」とも発言しています。大関昇進が決まると、師匠は四股名を考えたが、出身地の「十勝地方」にちなんで、「北十海」「十勝海」「十勝富士」などが候補だったのです。しかし十勝の「十」の字は、『勝ち星が10勝止まりになりそうで止めた方が良い』と九重が発言してやめになり、「十勝」から読みは十(と)ではあるが字は「勝」として、「北勝海」と決めました。
ということで、「北勝海」という四股名には出身地と勝利への強い思いが込められているのです
八角理事長のプロフィール
引用元:https://ja.wikipedia.org
四股名 保志 信芳 → 富士若 信芳 → 保志 信芳 → 保志 延芳 → 北勝海 信芳
本名 保志 信芳(ほし のぶよし)
愛称 ポチ、ブルドッグ
生年月日 1963年6月22日(61歳)
出身 北海道広尾郡広尾町
身長 181cm
体重 151kg
所属部屋 九重部屋
得意技 押し、左四つ、寄り
相撲のきっかけは小学生時代に、既に北の富士から九重部屋への入門の勧誘を受けていたということなので、子供時代からの素質がありました。
八角理事長(北勝海)の両親
八角理事長こと元横綱・北勝海関(保志信芳)は北海道の広尾郡広尾町の出身で小学生の時から旭川出身の北の富士から九重部屋に誘われていました。中学時代から入門して横綱まで昇進し現在は八角理事長として日本相撲協会のトップとして相撲界を代表する立場となっていますし、地元の「広尾海洋博物館」の中には幼少期の保志少年や八角部屋を開設するまでの道のりが郷土の名士として展示されているのです。
父親は広尾町で昆布漁師で生計を立てていて、お金を稼ぐのに苦労して働いている父の姿を見て育ちました。
辛抱強くて町一番の昆布の収穫量を上げている父親を見てお手伝いをしながら「おれもこんな男になろう」と思っていたのでした。保志少年は広尾小学校の卒業文集に「将来はお相撲さんになる」と書いていて「夢は芝生がある家を建てること」で中学3年生の4月から14歳で1人で東京に出てきたんですよね。子供ながらにしっかりとした強い信念をもって北海道から出てきたんです。
母親の保志美江子さんには、「母さん、おれは頑張るからな」と言い残して飛行機に乗り込んだということで母親は1、2か月ふさぎ込んでしまうほどだったそうなんですがその訳は食事はできているのだろうか?食べるものはあるのだろうかといろいろ心配だったのでした。後戻りは絶対できない、関取になるまではという覚悟の旅立ちだったんですね。
母親は心配で泣いて夜も眠れなかったことでしょうから、親子で保志少年から横綱北勝海まで駆け上がりよく頑張ったことと思います。
東京芸大の学長との対談で芝生のある家は建てたけど人工芝なんですと笑ってるシーンがあるのてすが人工芝でも大丈夫ですよね。
北勝海が強くなる秘訣
早朝から稽古場で四股踏みをしてから中学へ出かける日々を送っていた。
八角親方が東京芸大の学長との対談で述べた言葉で「きついと思っても、続けて行くと、それが普通になってくる」というのがあるのですが、これこそ北勝海が横綱にまで昇進できた土台にもなっているし兄の励ましの手紙には
八角理事長の(元横綱・北勝海)の学歴
保志少年は中学を卒業してからすぐに九重部屋に入門しましたので、学歴は中卒です。中学校を卒業して14歳で北海道から東京にたった一人で出てきたのですから、思い切った決断をしたのです。
相撲の成績
引用元:https://www.sumo.or.jp/Yokozuna/profile/61/
初土俵 | 昭和五十四年三月場所 |
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新十両 | 昭和五十八年三月場所 |
新入幕 | 昭和五十八年九月場所 |
新三役 | 昭和五十九年一月場所 |
新大関 | 昭和六十一年九月場所 |
新横綱 | 昭和六十二年七月場所 |
引退 | 平成四年三月場所 |
得意技は押し、左四つ、寄り。
生涯戦歴 591勝286敗109休(79場所)
幕内戦歴 465勝206敗109休(52場所)
優勝回数
引用元:https://www.jiji.com/jc/d4?p=jpn010-jlp01112908&d=d4_news
幕内優勝は8回
十両優勝1回
幕下優勝11回
序二段優勝1回
三賞
殊勲賞3回
技能賞5回
敢闘賞3回
引用元:https://www.bbm-japan.com/article/detail/7434
昭和59年初場所、2場所連続の敢闘賞を受賞した小結保志(写真中央 のち北勝海)。左は殊勲賞の大ノ国、右は技能賞の出羽の花
“八角理事長の四股名の由来?学歴や現役時代の相撲の成績は?” への2件のフィードバック