はじめに
皆さんこんにちは。
今回は、九州場所で幕内初優勝を果たした
ウクライナ出身の新鋭、あおにしきについて
紹介します。
初土俵から大関まで所要14場所という、
すさまじい記録をたたき出しましたね
しかし、彼の人生は華やかな土俵からは想像できないほど
過酷な歴史を歩んでいました。
戦火に揺れる母国から日本へ。
その道を切り開いたのは――
たった一人の日本人の青年との出会い。
安青錦は、どうやって大相撲の世界で頂点へ駆け上がったのか。
その強さの秘密と、ウクライナからの反響まで、
たっぷり紹介していきます。
安青錦が九州場所初優勝

豊昇龍と安青錦が12勝3敗で並び、
優勝決定戦が行われた。
安青錦は前日に豊昇龍を押し出しで下して
優勝争いに残り、その勢いのまま
決定戦でも過去3度勝利している豊昇龍を
立ち合いから激しく当たり、
後ろに回りこむような態勢から送り投げで撃破。
新関脇の場所で悲願の初優勝を果たしました。
その瞬間、ウクライナでは速報が流れ、SNSでは祝福の嵐。
「誇りだ!」
「戦火の国に希望が生まれた」
「国の英雄」
日本とウクライナをつなぐ大きな勝利となりました。
ウクライナ出身の安青錦
安青錦はウクライナ北部の地方都市に生まれました。
幼いころからレスリングに取り組み、全国大会にも出場。
当時から
「握ったら離さない」
「怪力少年」
と呼ばれるほどの逸材でした。
しかし――
10代半ば、祖国は戦火に包まれます。
安青錦の17歳の葛藤(戦士か力士か)

17歳。
その年齢はウクライナで
「兵士になる年齢」でもありました。
親族や友人の中には
前線へ向かった人もいたと言われます。
そんな中、あおにしきは悩みます。
「自分は武器を取るのか」
「スポーツの道で生きるのか」
ダニーロは将来はウクライナの大学への進学が決まっていたが、
スマートフォンを手に、かねて親交のあった山中新大さんに
「日本に行けませんか?」とメッセージを送った。
そして、受け入れの了承を得ると、すぐ荷物をまとめて
極東の島国である日本に飛びましだ。
幼い頃からの夢である大相撲の力士になるために。
6歳から通い始めた地元の柔道クラブで、人生の転機は、ふいに訪れた。稽古が終わって帰ろうとすると、先輩たちが何かを始めたのだ。
「マットの土俵を敷いて、そこで相撲を取っていたんです。遊びみたいな感じですね。勝負が早くて、面白そうだな、やってみたいなと思いました」
相撲という日本発祥の競技があることは知っていたものの、
実際に目にしたのはこれが初めて。
ウクライナがアマチュア相撲の強豪国でなければ、
このような機会はなかったかもしれない。
「戦う場所は、戦場だけじゃない」
彼は “力で国を背負う” という形を選びます。
行き先は――
日本の大相撲でした。
安青錦の両親との別れ

母国を離れる準備をしていたある夜。
家族全員がテーブルを囲んで静かに話し合いました。
母は泣きながら言います。
「あなたまで失いたくない」
しかし父は
息子の手を強く握り、一言。
「行け。生きて戻ってこい」
それが両親と交わした
最後の直接の会話でした。
安青錦の運命を変えた恩人

― 山中新大さんとの出会い
運命の出会いは 2019年の世界ジュニア相撲選手権(大阪)。
そこにウクライナ代表として出場していたのが
当時まだ10代のダニーロ(後の安青錦)。
声をかけたのが大会スタッフ兼選手として参加していた
**関西大学相撲部 主将 山中新大
彼はダニーロの戦いぶりに衝撃を受け、
大会中に声をかけました。
「ハロー、強いな!」
この一言が全ての始まり。
二人はSNSで連絡を取り合い、
国境を越えた友情が育っていきます。
ウクライナ侵攻と決断
2022年、ロシアによる侵攻が始まり
ダニーロは命からがら国を脱出。
日本を目指し、最初に連絡したのは――
山中新大さんでした。
自宅へ住まわせる決断
山中さんは家族に相談し、
なんとダニーロを家に住まわせることを決断。
・食事
・生活
・買い物
・役所手続き
・ビザ支援
・精神的な支え
すべてを受け止めました。
さらに
関西大学の道場で稽古をつけ、
相撲選手としての道も後押し。
もはや 友人ではなく “家族”。
この恩義を忘れなかったダニーロは、
角界入りした際の四股名に
やまなかあらたの「あらた」をそのまま使用。
四股名
安青錦 “新”
恩人への最大の敬意を込めた
“絆の証”だったのです。
安青錦の入門
山中さんの後押しもあり
ダニーロは正式に相撲部屋へ入門。
師匠はすぐに見抜きます。
「この子は伸びる」
その理由は
・誰より稽古好きき、
・誰よりメモを取り、
・翌日には改善してくる
圧倒的な修正力にありました。
スピード昇進
前相撲から
幕下
十両
幕内へ
異例のスピードで駆け上がります。
解説者からは
「日本人にないキレ」
「外国人力士の進化形」
と評され、注目度は一気に上昇。
安青錦の強さの秘密
― 相手が嫌がる体勢で当たる
あおにしきの強さは
“型に縛られない相撲”。
相手よりも低い体勢で立ち合います。
相手が右を差してきたら、
左から封じる。
正面から押してきたら
横から崩す。
まるで将棋のように
一手先を読む “頭の相撲” が特徴。
筋力ではなく
戦術で勝ちを取りにいくタイプです。
ウクライナと海外の反応
九州場所優勝のニュースは
瞬く間にウクライナ国内でトレンド入り。
「戦火の国に希望をくれた」
「日本に英雄がいる」
「泣いた」
ニュース番組では
“国を救う明るい話題” として大きく取り上げられました。
海外メディアは
「サムライの精神を持つウクライナ力士」
と報じるほど。
安青錦の大関昇進、そして横綱へ
九州場所の初優勝を受け
「新大関安青錦」が正式に誕生する。
九州場所では自己最多の12勝をマーク。
決定戦では横綱豊昇龍を撃破して
初優勝を果たした。
今も戦禍にあるウクライナから来日し、
安治川部屋へ入門。
2023年秋場所の前相撲で初土俵を踏んだ。
レスリングで鍛えた腹筋や背筋の強さを
生かした低い姿勢からの攻めが持ち味。
番付を一気に駆け上がったのです。
「大関の名に恥じぬよう精進」
ロシアによる母国への軍事侵攻を受け、
22年4月に来日した。
23年秋場所の初土俵から大関昇進まで所要14場所。
序ノ口からスタートした力士に限れば、
年6場所制となった1958年以降で最速記録だ
これまでの成績は
◆安青錦新大(あおにしき・あらた)
本名ダニーロ・ヤブグシシン。
2004年(平16)3月23日、ウクライナ・ヴィンニツャ生まれ。
6歳から地元クラブで柔道を始める。
同クラブが事実上、レスリングクラブに変わり、
レスリング技術も習得。
相撲は7歳ごろから始め、19年に大阪で開催された
世界ジュニア選手権にウクライナ代表で出場。
このときに、恩人の山中新大さんと出会いました
大相撲では23年秋場所の前相撲で初土俵。
同年九州場所で序ノ口、24年初場所で序二段優勝。
24年九州場所で新十両。年6場所制で付け出しを除き、
初土俵から所要9場所の新入幕、同12場所の新三役、
同13場所の新関脇は、いずれも最速。新入幕から
5場所連続の三賞受賞(殊勲賞1、敢闘賞2、技能賞3)は、
大の里と並ぶ最長記録。得意は右四つ、寄り。
家族は両親と兄。
身長182センチ、体重140キロ。
特別に大型力士ではないのですが、持ち前の強い下半身や
レスリングで鍛えた体がこのような素晴らしい成績を
上げたのでしょう。
戦火から逃れ
言葉も文化も違う日本へ。
支えたのは
たった一人の友情。
そしてあおにしきはこう語っています。
「強くなることで恩返しする」
安青錦の物語は始まったばかり。
これから横綱も狙いながら角界を背負う存在に
なっていくでしょう。
いかがでしたか?
戦争、別れ、友情、挑戦。
そして九州場所優勝。
安青錦のストーリーは
まさに現代の“人間ドラマ”。
最後までご愛読していただき、ありがとうございました。
あなたのコメントをお待ちしております。
それでは、失礼いたします