突然ですが、皆さんは
「夢をつかんだ瞬間から、転落が始まる」
そんな人生を想像したことはあるでしょうか。
今回お話しするのは、
大相撲の歴史の中でも、極めて異例の経歴を持つ一人の力士。
圧倒的なパワー。
異文化を背負っての挑戦。
そして、角界初の“ある記録”。
しかし彼は、土俵の外で起きた出来事によって、
そのすべてを失うことになります。
なぜ、ここまで期待された力士が、
角界を去らなければならなかったのか――。
その答えは、
生い立ち・価値観・そして女性関係にありました。
第1章:遠い異国で育った少年

彼は、
1992年、エジプトの首都カイロで生まれる。
11歳の頃にボディビルを始め、
やがて、彼は相撲と出会います。
14歳の時に
かよっていたボディービルのジムで、
相撲経験のある青年との申し合いで、
相撲を取ったのが最初でした。
当時の彼はすでに、
120kgで筋骨隆々、相手は65kg。
自信満々で臨んだのですが、7番取って全部負けてしまい、
「下手投げ、上手投げ、寄り切り、」
と技を決められて大負けし、大きなショックを味わいました。

それが人生を変える第一歩でした。
鍛え抜かれた肉体。
爆発的なパワー。
そして、異国の文化の中で培われた精神力。
そのすべてが、
やがて日本の国技・大相撲へとつながっていきます。
カイロ大学に通っていましたが、相撲のことが忘れられず
ついに日本に向かいました。
第2章:角界初の存在として注目される
来日後、彼は異例のスピードで頭角を現します。
そして誕生したのが、
角界史上初の“ある地域出身力士”という存在。
この時点で、すでに彼は
「話題性」と「実力」を兼ね備えた存在でした。
怪力を武器に、幕内へ昇進。
金星獲得役として名を馳せ、
上位力士をなぎ倒す姿は、多くの相撲ファンを驚かせました。
そうです、
ここまでは“成功物語”そのものでした。
第3章:その外国人力士とは

ここで、はっきりお伝えしましょう。
この力士の本名は、
アブデラフマン・アラー・エルディン・モハメッド・アハメッド・シャーラン
つまり、大砂嵐(おおすなあらし) 金太郎。
元幕内・大砂嵐、でした。
2011年8月にカイロ大学を休学して来日。
しかし、アフリカからの外国人力士、イスラム教徒
ということで、
6部屋で体験入門するのですが、正式入門はどこの部屋からも断られました。
7部屋目で大嶽部屋だけは受け入れてくれたので、
入門が決定しました。
大砂嵐(おおすなあらし)は、序ノ口全勝で番付を駆け上がりました。
身長 189.0cm
体重 160.0kgという恵まれた体格で、成績は、
初土俵 平成二十四年三月場所
新十両 平成二十五年七月場所
新入幕 平成二十五年十一月場所
最高位 まえがしら筆頭、
と、このように、アフリカ出身力士として、
初めての関取になりました。
こうしておおすなあらしは、
日本の相撲界に大きなインパクトを残した存在となりました。

大嶽親方は、大砂嵐に厳しく言い聞かせました。
他の力士と食事に行きたいというと、だめだといい、
八百長をしでかす恐れがあるので、外に出かけるのは禁止しました。
秋葉原に出かけることも禁止して厳しく接しました。
これは、大砂嵐の性格を親方が見抜いていたからでしょう。
そして、先代親方の大鵬のような、横綱に昇格させるためでした。
大砂嵐はイスラム教徒なので、ラマダンという、
日中は断食をする戒律や、豚肉やアルコールを飲まない規則を守りました。
初土俵から15場所の速さで金星を獲得。
これは、小錦に次ぐ史上2位の速さでした。
当時の横綱の鶴竜や、日馬富士から金星を獲得しました。
しかし、引退場所は、平成三十年三月場所ということで、
力士人生は、たったの6年ほどで、終わりを迎えました
第4章:土俵から転落した人生。

力士としての大砂嵐は、
疑いようもなく“一流の素材”でした。
ですが、
問題は、土俵の外で起こります。
週刊誌などで報じられたのは、
複数の女性との交際問題でした。
当時の報道によれば、
大砂嵐は、同時期に複数の女性と関係を持っていた**
とされています。
交際していた女性の数については、
「少なくとも2人以上」と伝えられ、
それぞれの女性に対し、
異なる説明をしていたとも報じられました。
具体的には、
怪我をして番付が安定しないときに、彼を支えたのが、
日本人女性のY子さんでした、婚約もして結婚目前というときに、
大砂嵐はエジプトに里帰りします、
その時にエジプトとのある女性と結婚してしまうのです。
Yさんはもちろん知らないうちにです。
帰国して大嶽親方に、「お話があります」という、おおすなあらし、
師匠はエジプトの両親に結婚の許しをもらってきたと思いこみ、話を聞くと
「エジプトで彼女ができて結婚してきました。」
と思いがけない言葉を師匠に話します。

ほんの短い期間でエジプトで結婚式も上げてきたということで、
師匠はあきれ返りました。
Y子さんには、
「政略結婚で断れなかったのだ」と話しました
しかたなく別れを受け入れることとなりました。
師匠には、
父親が心臓病で手術の前に息子の結婚式が見たいと
言われたのです。
と話しました。
師匠は「それならば、仕方がない」と承諾しました。
そしてさらに新婚ほやほやの時にエジプト人と
日本人のハーフのK子という女性に恋に落ちてしまうのです。
新婚の奥さんを放置してK子さんにプロポーズしてしまうのです。
奥さんがいるとは知らないハーフのK子さんとは男女の深い仲となります
しかし、誰かから話を聞いてK子さんはおおすなあらしには
奥さんがいることを知ります。
エジプトで撮影した結婚式の写真を見せつけられても、
おおすなあらしは、「それはいとこの結婚式で俺は結婚していないよ」
としらばっくれました。
「そのニュースはいとこの結婚式で枚がっているんだよ」
「僕は君と結婚したい」と言い切りました。
いいのがれようのない証拠を拒絶したのです。
K子さんの福岡の実家に行き、結婚の承諾をもらいに行き、
「病気の父親に動画を送るんだ」
という用意周到ぶり、k子さんはその勢いにおおすなあらしの
言葉を信じて結婚できると思い込むのでした。

その時に思いがけないニュースを目にするのです。
無免許で交通事故をを超す
大砂嵐は、長野県で交通事故を起こしてしまうのです
発覚した当初は警察の取り調べに
「運転は同乗の妻がしており、私は運転していない」
と否定して相撲協会の事情聴取に
「運転はしていなかった」と説明したが、
ドライブレコーダーには運転しているのが写っており
その後警察に「自分が運転した」と認めたのです。
このニュースを見て、K子さんはおおすなあらしが
結婚していることを知ってしまうのです。
さらに妊娠もしていたのです。
相撲協会は無免許運転と結婚の詐欺をしていることで
引退勧告を出し、おおすなあらしは、引退せざるを得ませんでした。
第5章:文化の違いが生んだ悲劇(

ここで重要なのが、
文化・思想の違いです。
彼が育ったエジプトの風習や環境では、
宗教的・文化的背景から、
複数の女性と交際するという価値観が
必ずしも否定されるものではありません。
しかし、日本は違います。
日本では、
一夫一妻制が法律で定められており、
恋愛・結婚においても
「誠実さ」が強く求められます。
この“常識のズレ”が、
やがて大きな問題へと発展していきました。
報道では、
ある女性には結婚をほのめかし、
別の女性には別の未来を語っていた――
そんな内容も伝えられています。
日本では通用しない常識と知っていたので、
大砂嵐は、このような嘘をついていたのではないでしょうか?
第6章:すべてを失ったその後

結果として、おおすなあらしは、角界を去ることになります。
怪我、女性トラブル、信頼の喪失。
理由は一つではありません。
ですが確かなのは、
私生活の問題が、力士人生に大きな影響を与えた
という事実です。
夢をつかみかけた男が、
文化の壁と、自らの行動によって、
その舞台を降りることになった――。
それが、大砂嵐の現実でした。
元大相撲力士のおおすなあらしは、
2018年に引退後、格闘家へ転身し、
アメリカで「コンバット相撲」など
格闘技活動を行っていましたが、
2024年4月時点では、その後の活動に
関する最新情報は少なく、
現在は詳細不明ですが、
格闘家としての挑戦を続けている模様です。
まとめ

才能だけでは、成功は続かない。
環境を理解し、
信頼を積み重ねることの大切さ。
大砂嵐の人生は、
それを私たちに教えてくれます。
あなたは、
彼の生き方をどう感じましたか?
ぜひ、コメントで意見を聞かせてください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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