若隆景は右膝の靱帯を断裂
2023年3月に若隆景は右膝の靱帯を断裂し、3場所全休しましたが、
その大怪我というのは、右前十字靱帯損傷、右外側半月板損傷、骨挫傷、
右外側側副靱帯損傷ということで幾つものケガの名前からしてもものすごい大ケガであることがわかります、当時は関脇で、大関候補とも言われてたのが、思いがけないアクシデントに見舞われたのです。3場所の連続休場後、
11月の九州場所では、幕下から再スタートとなりましたが、
5勝2敗と見事に勝ち越し、2024年の初場所では見事に幕下
全勝優勝し、3月からは十両に昇進します
実は昨年、若隆景が右膝をけがした取り組みでは、物言いがつきましたが、
その時すでに右膝の靱帯を損傷しながらも
取り直しをして琴ノ若を撃破していました
若隆景本人は「アドレナリンを出して勝てた」と話しています
今回は、そんな若隆景の負傷してピンチのときでも、勝てた相撲について
紹介していきます
若隆景は幕下から関取に復帰
若隆景は2023年4月に、右膝靱帯の再建手術を受けたのですが、
その後、リハビリで5月場所から、9月場所までの3場所を
全休しました
昨年の九州場所から、ようやく復帰することができ、
幕下からのスタートとなりましたが、さすが元関脇、
今年の初場所では、全勝優勝して3月からは関取として十両に
返り咲くことになりました
若隆景は、
3場所ぶりの関取復帰を、素直に喜ぶ姿が印象的だった。
2024年の大相撲初場所では、若隆景が西幕下筆頭で7戦全勝優勝し、
春場所(3月10日初日・エディオンアリーナ大阪)での
再十両を決めました。右膝の大けがによる3場所連続休場を
乗り越え、「ホッとしてます。最後、白星で終われて良かった」
と、ひと安心した感想を述べました
新十両昇進の時と比べると
その違いは「言葉では言い表しづらい」と、よろこんで
いました
やはり、奥さんもお子さんもいますから,幕下と十両の
差は大きいですね。給料が出る十両と、出ない幕下とでは、
比べ物にならないくらい、うれしかったことでしょう。
奥さんも、ひと安心ということでしょう
若隆景は琴ノ若戦で右膝を痛める
若隆景が右膝の大けがをしたのは、
昨年3月、大阪場所13日目の琴ノ若戦で、右ひざ靱帯損傷など
の大ケガを負いました。あの一番での膝の状況はどうだったの
かというと、若隆景は以下のように語っています
「一番目の相撲で、完璧にやったなという感じでした。
バキバキ、みたいな音が聞こえたし、立ったときに膝が
グラグラしていましたから。物言いがついて、取り直しは
ないかなと、思っていたんですが、説明を聞いたら
取り直しだったので、もう一番やるしかないなと」
ということで通常なら、医務室に運ばれるのが当たり前の事態なんですが、
底は、誰よりも負けず嫌いで体に無理してまで取り直しに挑んでいくのは、すさまじい忍耐力と精神力ですね
協議の結果、同体で取り直し
行司の軍配は琴ノ若の勝ちでしたが、審判の
物言いがつき、協議の結果「同体」となり、
取り直しになりました
若隆景の心境は、「うわっ、またやるのかよ!」
と内心、思っていたかもしれません
でも、顔には少しも出さず、すましていたんです
「土俵に上がったからには、お客さんに変な姿を
見せられない、しっかりいい相撲を取ろうという
気持ちでした」
と話していたのですから、さすがです
プロ根性というのは、こういうことなんですね
私はこういう,逆境に立ち向かう若隆景が男らしくて、
大好きなんです
取り直しの時は右膝がガクガク
最初の取り組みの後、若隆景は膝を
少し庇うような、しぐさをしていますね
この時、「あいたたっ、くっそーー」と必死で
隠そうとしていたんでしょう
そして、この時すでに右膝の靱帯が断裂していたのでしょう
「バキバキ」という音がしたと、若隆景は
語っていましたから、
いくら強い力士でも所詮、生身の人間、
痛さに耐えて、相撲を取ることはよほど精神力が
強くないとできないですが、若隆景の持ち前の
負けず嫌いな性格が功を奏する結果になるのです
若隆景は取り直しでアドレナリン放出
取り直しの相撲で若隆景は腹をくくりました
相手は同じ関脇でも、大関候補と言われた
強いライバルの琴ノ若!
この状況では、琴ノ若が万全の身体ですから、
断然、有利だと言えるでしょう
しかし、勝負が始まると、圧倒的に若隆景の
相撲展開となり、琴ノ若に相撲をさせない内容で、
すごい勢いで琴ノ若を押し出しました
これこそ、若隆景の言う、アドレナリンが出ていて、
普段以上のクソ力を発揮できたのだと、思うのです
火事場のバカ力と言われますが、人間は生命の
危機である火災時には、ものすごい力を出すことが
できると言われますが、この時の若隆景はまさに
火事場のバカ力を出せて、勝てたのではないかと
思うのです
行司の勝ち名乗りを受けて、若隆景は支度部屋へと、
帰っていきますが、この時に苦しい痛みが襲って
きたと話していました
このように、若隆景はピンチでもアドレナリンを
出して相手に勝てるんだということを知らしめてくれました
それにしても自分でアドレナリンが出ていたということ
って、自覚できるものなのでしょうか
右膝の手術後若隆景は?
若隆景は、4月の右膝の靱帯再建手術を受けますが、
その後は、復帰まではどんな生活を
していたか?_ということですが、
次のように話しています
「まずは前十字靭帯の再建手術を受けて、しっかり
治していきました。術後、病院でリハビリをしますが、
最初は座ったまま、脚を上げる練習から始まりました。
足をつけるようになってからは、松葉杖を使った歩行練習。
松葉杖なしで、歩けるようになるまでは、1ヵ月くらいかかった
かな。その頃はまだ、四股も踏んではいけない時期だった
ので、下半身が動かせない間は、上半身のトレーニングを
するなど、ほとんど毎日リハビリやトレーニングに通って
いました。まわしをつけて四股を踏めるようになったのは、
術後2~3ヵ月。最初は体重をかけないように、徐々に
慣らしながらの四股でした。ちょうど名古屋場所の頃には、
稽古場でまわしを締め始めて。6月の合宿には行けなかった
けど、8月の福島合宿はリハビリがてら、参加できました」
ということで、まわしがつけれるようになるまでは3か月
かかり、ようやく先が見えてきたのです
そして手術して、約半年後の11月の九州場所には
間に合わせることができました
けがをして糧になったこと
休場中は焦りもあったと、話していた若隆景ですが、
それだけでなく、相撲は周りの人がいてくれるからこそ、
できるのだと、いうことを感じたと話しています
「やっぱりいろいろと、考える時間はたくさんあったので、
自分一人じゃ、相撲を取れないってことを、強く思いましたね。
周りの人たちがいるから、相撲を取れる。そういうことを
感じました」
ということでした。
また、けがをしたことも糧になると次のように語って
いました
「自分の相撲人生において、こういう経験ができたことは、
糧になるんじゃないかなと感じています」
周囲の方のお世話があるからこそ今があるということを
実感したんですね
ケガによって「前に出る意識がより強くなった
若隆景は今回の右膝の大けがをして変わったことがあります
3月の大阪場所の目標について聞かれると、
「一番一番、自分の相撲を取り切ること。
いま自分ができることを精一杯ぶつけていきたいです。
ケガしたことで相撲のスタイルが変わることはないですが、
押し込まれて後ろに下がったり、変に残そうと踏ん張ったり
したら膝に負担がかかると思うので、前に出る意識は
より強くなったと思います。
下がって何かをしようというよりも、前に出ようという意識で、
稽古場から取っています」
ということで、今まで以上に前に出る相撲が期待できそうですね
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