大相撲の荒篤山 の読み方は「こうとくざん」というのですが2021年7月場所からいよいよ新十両となりこれで力士として一人前で給料ももらえるようになりましたね.
荒篤山がこの度十両に昇進が決まって本人だけでなく父や母や親方もとても喜んでいるはずでしょう。出身地や中学、ハーフというキーワードもあるので調べてみました。
新十両昇進を機に結婚ということもありうると思い彼女についても調べてみました
引用元:https://www.sanspo.com
荒篤山が新十両昇進
荒篤山は2021年名古屋場所7月4日から新十両昇進が確定したのですが
オンライン会見では
「ほっとしている気持ちもあるけど、もっともっと上を目指したい気持ちはある。ようやくスタート地点に立てた」と答えていました。
初土俵が2009年の秋場所なので中学を卒業後いわゆるたたき上げで12年めにして関取の座を勝ち取ってとてもうれしかったことと思います。これでお給料がもらえる立場に慣れて付き人も付くので幕下時代とは雲泥の差があるわけでこの番付を怪我をして落とすことがないように祈るばかりです。
荒篤山は中学卒業後荒汐部屋入門
荒篤山は12歳までは母親のキャサリンさんとフィリピンで暮らしていたのですが
日本に来て横浜市内の中学校に通い日本語にもだんだんなじんで日常会話には困らなくなったそうです。
荒篤山が3年間通学したのは
横浜市立十日市場中学校(横浜市緑区)
引用元:https://www.homemate-research-junior-high-school.com
荒篤山は15歳で中学を卒業後角界に入門を決意して
荒汐部屋に入門しました。
1994年3月生まれで現在27歳ということですから入門して12年厳しい稽古にも辛抱して
ついに新十両昇進の日を迎えることができました。
一言で12年というものの後から入門してきた若隆景や若元春には先を越されていて悔しかったこともあったでしょうが本当によく頑張ったとご両親は大喜びされているに違いありません。
荒篤山は中学時代に日本語をマスター
荒篤山は母親の母国フィリピンで生まれて育ちましたが
12歳で日本に来て横浜市緑区に住んでいて地元の中学校に進み、
高校には行かずにすぐに荒汐部屋に入門したのです
これは入門して間もないころの写真です。
引用元:http://sumodb.sumogames.de/Rikishi.aspx?r=11809&l=j
日本に来て最初の日本語は「はい」と「いいえ」くらいしかできなくて日本語に苦労したということです。
フィリピンではバスケットボールをしていたので日本でもやりたかったけど、
中学で隣の席の子が親切だったことから誘われて野球部に入部してキャッチャーをしていたということです。
たった12歳で日本に来て言葉も通じない国で通学するのはさぞかし不安な毎日だったことだと思いますが中学に行きながら日本語も覚えて日常会話はできるようになれたのだからすごい努力家なんだろうなって思いますしどんな苦難も乗り越えていく精神力も培われたことだと思うのです。
これは入門して間もないころの荒篤山です。
まだ中学卒業したばかりで初々しいころの荒篤山ですね。
引用元:http://arashio.net/history/heya0919b.html#kotokuzan
私だったら異国の土地で辛抱できるかなって耐えられるかなって思いますが、荒篤山は持ち前の明るい性格がみんなに愛されたんだと思います。
隣の席の子が親切で本当によかったですね。
横浜市長に新十両報告
横浜市出身力士として関取の昇進はなんと22年ぶりで横浜市民もこれからの活躍が気になるところでしょう。
2021年6月1日横浜市役所の林市長に親方の荒汐栄吉さんと、先代おかみの鈴木ゆかさんと、両親と一緒に横浜市役所を訪問して新十両昇進の報告をしました。
林文子市長が「諦めようとおもったことは?」と尋ねたところ、荒篤山は「ないですね」と即答してうれしい気持ちを伝えたのです。母親のキャサリンさんは「頑張ってね」と声をかけ今後の活躍を願っていました。
引用元:https://www.hamakei.com
左から、伊波俊之助さん、荒汐部屋先代おかみ・鈴木ゆかさん、母・キャサリンさん、父・康範さん、横浜市長・林文子さん、荒篤山さん、磯子区長・猪俣宏幸さん、草間剛さん、親方・荒汐栄吉さん、鴨志田啓介さん
横浜市有志からは横浜市の花「バラ」とフィリピンの国花の「サンパギータ」がデザインされた化粧まわしが贈られることになり、7月4日の名古屋場所ででつけることになるのです。
引用元:https://www.nikkansports.com
「もう一段上に行きたい。頑張ってもっと上に行けるようにやっていきたいですね」と力強く答えていました。
目指す力士は御嶽海
新十両昇進にあたり、目標にしている力士は? と聞かれると合同稽古の時にアドバイスしてくれた小結の御嶽海(出羽海部屋)を目標に挙げていて、御嶽海のような相撲をとりたいと語っています。
荒篤山はハーフで性格は明るい
荒篤山は父親が日本人で母親がフィリピン人でハーフということになりますね
寺井 太郎の寺井はお父さんの苗字でジャスパーケネスはお母さんの名前ですね。
性格はいつも笑顔でニコニコしていて明るいし稽古場では教わることをもれなく吸収するするようで周囲にも好印象を与えているようなので今回の十両昇進に間違いなくつながっているのです。
最初は研修生JSPということで仮入門していた荒篤山でしたが、ちゃんこをたくさん食べて部屋の方も認めるほど身体が大きくなっていきました。
本人も『僕は日本人とフィリピン人のハーフです。育ちは,日本です。国籍がフィリピンだったので,帰化申請をして,許可が下りるのを待ってたんです』
外国人力士の入門は各部屋に1人と規定があるのて、申請が通るまでは研修生だったんですね。これは研修生JSPの頃の荒篤山です。
引用元:http://www.arashio.net
荒篤山の四股名の由来
荒篤山太郎の四股名は荒汐部屋の「荒」は間違いないでしょうがあとは後援会がつけてくれたけど意味は本人もわからないということです。
しこ名の由来を聞かれ「後援会長がつけてくれたんですけど、意味は……すいません、わからないです」と苦笑した荒篤山は、次の目標に幕内昇進、理想とする力士に御嶽海の名を挙げました。 pic.twitter.com/u17vKbpfKK
— 朝日新聞 大相撲担当 (@asahi_osumo) May 26, 2021
平成二十一年十一月場所ですでに
寺井 ジャスパーケネス(前相撲)から荒篤山 太郎に改名しているのです。
荒篤山のプロフィールと力士情報
荒篤山 太郎(こうとくざん たろう
四股名 寺井 太郎→荒篤山 太郎
本名 寺井 ジャスパーケネス
愛称 じゃすぱー
生年月日 1994年3月11日(27歳)
出身 神奈川県横浜市緑区(生まれはフィリピン)
身長 181.4cm
体重 160.0kg
BMI 48.6
所属部屋 荒汐部屋
成績
現在の番付 東幕下筆頭
最高位 東幕下筆頭
生涯戦歴 248勝216敗12休(69場所)
初土俵 2009年9月場所
相撲を始めたきっかけは父のメール
荒篤山は
寺井 ジャスパーケネスというのが本名なんですが
出身地は横浜になってますけど、フィリピンで生まれて12歳までいました。
父から「日本に住みたいか?」と聞かれて母親と一緒に暮らしていたいと思って日本に住むことを決心したのでした。
日本に来て、横浜市の中学に入学し卒業後すぐに荒汐部屋に入門することになったのですが、きっかけが父親が荒汐部屋に中学2年の時にメールを送ったことがきっかけだったようです。荒汐部屋の千秋楽パーティーに父と参加してちゃんこも食べて稽古にも誘われ未経験の寺井少年は角界に入る決意を固めました。
寺井少年は「部屋もみんないい人ばかり。入ろうと思った」と語っていました。
フィリピンでは相撲を習っていたわけではないのですが2009年の秋場所で初土俵を踏んでいました。
荒汐部屋には幕内力士が若隆景がいて
『早くみんなで白まわしを締められるように頑張りましょう』と声をかけてもらっていたのが現実になり、若隆景が胸を貸して白いまわしをつけての稽古が行われることでしょう。
荒篤山の家族
荒篤山の家族は両親が寺井さんで
父・康範さん、母・キャサリンさん、兄弟は妹が2人いて3人兄弟です。
お母さんにとっては自慢の息子に違いないですね
また、妹さんは学校を卒業されたみたいでこんなにかわいいんです。
兄は飾りですってメッセージに飾りってなんだよーってコメントしているのが笑えました❗️
荒篤山の彼女と結婚はいつ?
荒篤山の彼女や結婚についててすが、情報が見つかりませんでした。
今は相撲に集中力を高めていく時期なので幕内にはいってからなのかもしれませんね。
まとめ
荒篤山は2009年に初土俵を踏んで12年目にして新十両に昇進することになってますが、12歳で来日して中学校を卒業後初めて相撲に取り組んで未経験で新十両達成することができたので素晴らしいことだと思います。
同じ部屋の若隆景の後を追っている兄弟と一緒にますますの昇進を目指して頑張ってくれることてしょう。
最後までお読みくださいましてありがとうございました!