玉鷲が引退しない本当の理由は?嫁や家族についても紹介

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今回は大相撲で鉄人と呼ばれる玉鷲の
お話でございます

玉鷲が十両へ…それでも引退しない鉄人

大相撲で初土俵からの通算連続出場記録の歴代1位を持ち、「鉄人」と称される玉鷲(41歳)が西前頭13枚目だった5月の夏場所で2勝13敗と大きく負け越した。
7月の名古屋場所では、13年ぶりに十両に番付を下げることが確実視されている。それでも、「不屈の闘志」を持つ41歳の勝負魂は衰えない。「見る人の心を揺さぶる相撲を」と、幕内返り咲きを狙って新たな情熱を燃やしている。

長年にわたり幕内の第一線で戦い続け、多くの相撲ファンを魅了してきた鉄人が、ついに新たな試練を迎えることになりました。

年齢を理由に「もう限界ではないか」という声も聞かれます。

しかし、玉鷲はこれまで何度もそんな声を力で跳ね返してきた力士です。

誰よりも丈夫な体を武器に、休まず土俵へ上がり続けた連続出場記録。

その裏には、誰も知らなかった意外な理由がありました。

実は玉鷲を支えていたのは、勝利への執念だけではありません。

家族の存在だったのです。

今回は、家族を何よりも大切にしながら土俵に立ち続ける玉鷲の素顔に迫ります。

日本へ来たきっかけは東大生の姉だった

玉鷲が日本へ来ることになったきっかけは、お姉さんの存在でした。

優秀だったお姉さんは東京大学へ留学。

その姉を訪ねて日本へやって来た玉鷲は、この国で初めて本格的な相撲を目にします。

大相撲に興味があるというものの、現役力士の知り合いなどはいない。そこで、姉と一緒に電車で両国まで行って、たまたま見かけた力士の後を付いていった。

「それがたまたま、当時、鶴竜関(現・音羽山親方)がいた井筒部屋でした。モンゴル語で鶴竜関に『大相撲に興味があって、力士になりたい』と相談したんです。外国出身力士は原則、「1部屋1人のみ」と決まっているので、井筒部屋には入門できなかったのですが、代わりにモンゴル人力士のパイオニア・旭鷲山関(元小結)を紹介してもらいました」

そこで相撲という競技に強く惹かれ、「自分もやってみたい」と思うようになりました。

もしお姉さんが日本へ来ていなければ、玉鷲は力士になっていなかったかもしれません。

人生とは本当に不思議なものです。

そして日本へ来て最も驚いたのは、お米のおいしさだったそうです。

モンゴルやタイ、韓国にもお米はあります。

しかし、日本のお米は甘みや粘りが全く違い、そのおいしさに感動したと語っています。

そんな日本で相撲人生を歩み始めた玉鷲は、日本そのものが大好きになっていきました。

白鵬や鶴竜とは日本語で会話する

モンゴル出身力士といえば、白鵬や鶴竜が有名です。

実は玉鷲も同年代で親しい関係です。

普通ならモンゴル語で話すと思われがちですが、実際は日本語で会話することが多いそうです。

その理由が実に面白いのです。

モンゴル語では説明が長くなってしまう内容も、日本語なら短い言葉で簡単に伝えられる。

相撲の専門用語も日本語のほうが自然で、お互いに理解しやすいそうです。

日本で長く生活してきたからこそ、日本語が自然な会話になっているのです。

鉄人の連続出場を支えた本当の理由

玉鷲といえば、何と言っても連続出場記録です。

どれだけ体が痛くても土俵へ上がり続けました。

普通なら「記録のため」「責任感のため」と思いますよね。

ところが玉鷲本人が明かした本当の理由は違いました。

休場すると、場所後の行動が制限され、家族との時間が少なくなってしまう。

だから絶対に休みたくなかったというのです。

場所が終われば家族で車に乗り、田舎へ旅行に出かける。

子どもたちと遊び、奥さんと買い物を楽しみ、一緒に食事をする。

その時間が何より幸せだったそうです。

つまり、連続出場の原動力は相撲への執念だけではありませんでした。

家族との楽しい時間を守るため。

その思いが、何百日、何千日という連続出場を支えていたのです。

なんとも玉鷲らしい、温かい理由ではないでしょうか。

積み重ねた基本稽古が優勝を呼んだ

玉鷲は関脇まで昇進し、ついには幕内最高優勝も成し遂げました。

特別な秘密の稽古があったわけではありません。

毎日続けた四股。

すり足。

てっぽう。

腕立て伏せ。

師匠から教えられた基本を誰よりも忠実に続けてきました。

そして年齢を重ねても若手には絶対に負けたくないという強い気持ち。

その負けず嫌いな性格が、何歳になっても第一線で戦い続けられる理由だったのです。

優勝よりもうれしかった出来事

幕内最高優勝。

力士なら誰もが夢見る瞬間です。

ところが玉鷲は、その時の気持ちを意外な言葉で振り返っています。

優勝した頃に子どもが生まれたため、優勝よりも子どもが誕生した喜びのほうが大きかったそうです。

そのため優勝した実感はあまりなく、時間がたってから少しずつ「本当に優勝したんだ」と感じるようになったと語っています。

家族第一の玉鷲らしいエピソードです。

子どもと遊ぶ時間が最高の幸せ

土俵では鬼のような表情を見せる玉鷲ですが、家ではまるで別人です。

子どもを高く持ち上げて遊んだり、公園へ行ったり、一緒にアニメを見ることもあります。

さらに映画やドラマでは感動して涙を流すこともあるそうです。

特に「鬼滅の刃」で煉獄杏寿郎が命を落とす場面では思わず泣いてしまったそうです。

あの豪快な突き押しからは想像できない優しい一面ですね。

手芸も料理もプロ級だった

玉鷲にはもう一つ驚きの特技があります。

それが手芸です。

10歳の頃から料理や手芸を始め、細かい作業が大好きでした。

編み物だけでなく、プラモデル作りも得意。

さらに家族がテーブルを囲んでいる絵を描くこともあるそうです。

子どもの頃の夢はシェフかホテルマン。

高校卒業後は、モンゴル科学技術大学に進んで、勉強に励んでいた。ホテルマンを志望した理由も彼らしい。

「ホテルに勤めると、お客様を含めて世界中のいろんな人たちと会える。世界が広がって楽しいんじゃないかと思ったんです」

布団をきれいにたたむことも好きという、とても几帳面な性格です。

YouTubeでは料理動画を見ることが好きで、韓国やタイ、中国のファストフード動画を楽しんでいるそうです。

土俵の豪快さとは正反対の趣味に、多くのファンが驚いています。

四股名に込められた思い

四股名の「玉鷲」。

この名前は師匠とおかみさんが考えてくれました。

モンゴルらしい力強い動物として、狼、馬、鷲などの候補があり、その中から「鷲」が選ばれました。

力強く空を舞う鷲のように、大きく羽ばたいてほしい。

そんな願いが込められているのでしょう。

好きな色は青。

化粧まわしや持ち物も青色でそろえるほどお気に入りだそうです。

一番うれしかった勝利は白鵬戦

玉鷲が最もうれしかった勝利。

それは優勝そのものではありませんでした。

長年勝てなかった横綱白鵬を破った一番です。

何度挑戦しても勝てなかった最強横綱。

その白鵬を倒した瞬間、思わず涙があふれたそうです。

積み重ねてきた努力が報われた瞬間でした。

そして玉鷲は今でも立ち合いの強烈な当たりこそ、自分の最大の見どころだと語っています。

最後まで自分の相撲を貫く。

その姿勢は今も変わっていません。

十両からもう一度はい上がれ玉鷲

名古屋場所から十両での戦いが始まります。

年齢だけを見れば厳しい挑戦かもしれません。

しかし玉鷲はこれまでも何度も予想を覆してきました。

毎日の基本稽古。

若手にも負けない闘志。

そして何より家族の笑顔。

家族とまた旅行へ行くために。

子どもたちと笑顔で遊ぶために。

その幸せな時間を守るために、玉鷲は今日も土俵へ上がります。

相撲人生の終わりではありません。

昨年の名古屋場所では、11勝4敗
で殊勲賞を獲得した玉鷲です

苦しい夏場所の15日間を終えた玉鷲は、千秋楽の支度部屋で「何年ぶりですかね、十両は」と報道陣に逆質問した。13年ぶりと聞かされると、「腐らないように。そういう気持ちでやるだけ。とにかく、『(よっ)しゃー』という感じですかね。いろいろありすぎ。これからまた自分を立て直していきます」と、自らを奮い立たせるように話した。

ここからもう一度幕内へ返り咲く物語が始まるのです。

最後まで諦めない鉄人・玉鷲。

私たちはこれからも、その勇姿を全力で応援していきましょう。

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