はじめに
継国縁壱は鬼滅の刃のなかで登場する剣士の中でも一
番強くて鬼舞辻無惨も確実に倒せる腕前です。
このように、無惨の首を一撃で切っています。
日の呼吸を使える唯一の人物で鬼殺隊の柱に呼吸が使えるように教え広めた!
今回はなぜ継国縁壱は耳飾りをつけていたのか?
継国縁壱 がなぜ耳飾りをつけてた?最初につけたのは誰なのか?
継国縁壱は耳が聞こえなかったのか?
ご紹介しています。
継国縁壱は忌み子!
さ兄は巖勝(みちかつ)で後の黒死牟です!
(文字が厳しいという漢字ではないことに注意!)
戦国時代の武家屋敷だった継国家にとってその当時、双子は災いの元と言われていて特に継国縁壱(よりいち)は生まれたとき額に痣があったので気味悪いといって父親は忌み子と言い、殺そうとしたのだが、母親のもう反対で10歳になったら、寺に入れる約束で生き長らえた。
実際に父親から2歳の時に言われた言葉は「おまえは忌み子で生まれてきてはいけなかった、不吉な子供だ、継国家に災いをもたらすだろう。」と言われ、この家にいたら僕はみんなに迷惑をかけてしまうから、家にちえはいけないのだと悟ったのだった。
兄の巖勝(みちかつ)は後継ぎとして食事の面でも、食べ物や習い事などお金をかけてもらうのだった。でも縁壱には狭い部屋に閉じ込めて外出も禁止されたのだ。
縁壱の立場
縁壱は本来は生きていてもらっては困ると言われる立場で父親からは疎まれて育
ったのだった。痣があっただけなのに、忌み子と呼ばれ要らない子どもだと言わ
れたら普通なら親を心底恨んでしまうだらろうが、縁壱の心はさぞかし切なかっただろうと思うと涙が滲む。
忌み子とは!
望まれない子ども、例えば愛人にできてしまった子ども、ほんの遊びで避妊忘れ
てできてしまった子供、思わぬ障害や醜いところをもって生まれた災いをもたらす子供という意味です。
縁壱は痣があっただけなのに災いをもたらすっていって殺されそうだったのです
のです。
つまり、「忌」は嫌われて避ける、いまわしいという意味です。
忌み子とは典型的な差別用語です。
縁壱の幼少期と巖勝の思いやり
縁壱は幼少期から兄とは別の部屋でなるべく外には出ないようひっそりと暮らす毎日だった!
3畳の狭い部屋にこもりがちで1人でいるところに兄の巖勝は「ほっておけ」
という父親の目を盗んで縁壱の部屋に遊びにいき、遊
んでやっていたら、父親に殴られてしまった。
また、常に母親の左脇にいつもくっついて兄の巖勝は母親に甘えてばかりでなにもできないと可哀想に想いある日手作りの笛を渡してやった。
縁壱はその笛を兄と思って生涯大切にしており、黒死牟となった兄と最後の決戦のとき立ったまま寿命がきて死ぬのだが懐には兄からもらった笛をもっていたのだ。
最後まで鬼になった兄、巖勝のことを信じて大切にもっていたのだ。
母親にくっついてた本当の訳
縁壱はいつも母親にくっついていて端から見たら何と甘ったれているんだと思われたろうが、そうではなかったのだ。
縁壱は「透き通る世界」が常に見えていたのだ! だから、母親の病んでいるところをいつも、庇ってあげていたのだ。
縁壱の耳飾りは聞こえなかったから?
それでは本題にまいります。
縁壱は本当に耳が聞こえなかったのでしょうか?
母親が太陽の神様に耳が聞こえるようになりますようにとお祈りしていますね。