大八木弘明の身長や年収は?若い頃の仕事や名言や人気の本も紹介

大八木弘明さんは現在、駒澤大学陸上部の監督で数々の輝かしい実績と優秀な選手を育ててきました。箱根駅伝では注目の存在となりましたね。

そこで、大八木弘明さんの身長やプロフィール、年収、若いころはどんな仕事をしていたのか?

そしていくつかの名言や人気の本も紹介していきます。

大八木弘明の身長は花尾と同じ

大八木弘明さんの身長ですが若い時のデータが見つからず
現在の身長を調べたところ、身長の情報は見つかりませんので第53回全日本大学駅伝で優勝した時の物ですがこの写真で見ると大八木弘明監督は花尾選手と同じ身長に見えるので花尾選手の身長を見てみると173センチでしたので大八木さんも同じくらいでしょう。

ということで大八木弘明監督の身長は173cmくらいだと思われます。

引用元:https://4years.asahi.com/article/14477334

大八木弘明のwikiプロフィール

氏名:大八木弘明(おおやぎ ひろあき)
生年月日:1958年7月30日
身長:173cm
出身地:福島県河沼郡河東町(現在の会津若松市河東町)
出身高校:会津工業高校卒業
大学:駒澤大学経済学部2部(夜間部)

大八木弘明さんは高校卒業後地元福島の小森印刷(現・小森コーポレーション)に就職するのですが、憧れの箱根駅伝に出たくて思い切って退職します。

そして川崎市役所に勤めつつ、24歳で駒澤大学2部(夜間部)に入学して
昼間は働いて夜は大学に行く生活をしてでも箱根駅伝に出場する夢を果たそうとしました。

その結果、駒大に進学して1年生から箱根駅伝に出場し1年生の時には5区で、3年生の時には2区で区間賞を獲得して活躍することができたのです。

駒大卒業後はヤクルトでコーチ兼選手
1995年4月から駒大陸上部のコーチ指導をして2004年には監督に就任
三大駅伝で通算24勝という実績を持つ常勝チームの名監督なのです。

大八木監督の指導方針は長年多数の選手を育ててきた経験から選手自身が持っている目標と照らし合わせながら無理な指導を押し付けないことを心がけていて大八木と選手との信頼関係が何よりも重要で将来像を選手とよく話し合うことで強化メニューを決めていて、そこでできる信頼関係が良い結果を出す元であると述べています。

大八木監督が陸上競技とのきっかけ

大八木弘明は会津高田町立第一中学校(現:会津美里町立高田中学校)2年の時、校内マラソンで優勝したのがきっかけだったそうです。

もともと駅伝の素質があったのでしょう。そして福島で埋もれてしまうことなく箱根への夢を持ち続けていたからこそ現在の大八木監督があるのですね。

大八木弘明の年収はいくら?

大学職員の平均年収は以下の通りですが給料水準は各大学で違いがあるのであくまでも参考ということですが年齢が大八木監督は64歳ということで見れば1100万円以上だと言えるでしょうし、
三大大会で優勝すれば特別功労金とかいう名目で特別ボーナスが出るのかもしれませんね。

ということで大八木監督の年収は1100万円くらいであろうと思われます。

大八木弘明の若い頃の仕事と箱根駅伝の記録

大八木さんは10代の頃は地元で実業団ランナーとして活躍していましたが、、ラジオで聞く箱根駅伝が憧れでついに勤めていた会社(小森印刷)に辞表を出しで退職し、川崎市役所で職員として働きながら、駒大の夜学に進学し、二部の学生として大学にいき、箱根駅伝で活躍する夢を果たすことができました。

1984年から箱根駅伝に出場して5区と2区に出場して区間賞を獲得しました。
この写真がそのころの大八木弘明さんはこのように若かったのです。


引用元」Number1402号

そのころの箱根駅伝は15校しか出場できなくて今よりも狭き門でしたので箱根駅伝に出れただけでもいいかという学生もいたそうですが大八木さんは駒澤大学陸上部を箱根で優勝できるチームにしたかったということでそんなころから監督の資格を持っていたんですね。

大八木弘明さんは憧れの箱根駅伝に3年連続で出場しこのような成績を残しています。念願の箱根に出場できて区間賞も獲得しさぞかし嬉しかったことでしょう。

第60回大会(1984年) 5区(20.7km)1時間12分41秒(区間賞)
第61回大会(1985年) 2区(22.7km)1時間11分43秒(区間5位)
第62回大会(1986年) 2区(22.7km)1時間10分00秒(区間賞)

自分の仕事を変えて働きながら夜学に通いながら二足のわらじで必死で箱根駅伝に出場したのはすごく強い思いがあったからこそできたんでしょう

駒大陸上部の寮の食事はまだ1年生が食事係をして作る状態で十分練習もできていないので変えるべきところを良い方向へと変えていきながらチームが優勝できるように導いてくれていたのです。

大八木弘明の名言、檄を飛ばす効果

大八木弘明監督は駅伝のエースというといえるのはどんな選手かというと苦しい展開になったとしてもレースの流れを変えることができる背b種こそが真のエースと呼ぶにふさわしいと語っているのですが現在それができる選手は田澤廉だと話しています。

またm1995年から駒澤大学陸上部のコーチに就任して数々の実績を上げてきましたがその中で多くの名言も残してきましたので紹介します。

「男だろ!」

2021年の箱根駅伝で10区を走る駒澤大学の石川拓慎選手に「男だろ!」と檄を飛ばしてスイッチが入ったのだという。
3位だった順位が大逆転してトップに立ち優勝という素晴らしい監督の一言でした。
この「男だろ!」は駅伝の世界で有名になりうちわもできる状態でした。

「人の後ろにばかりいたんじゃダメなんだ」

何と大八木弘明監督は國學院大學の選手にも檄を飛ばしているのです。


國學院の浦野雄平はスイッチが入り区間賞も区間新記録でした。

白バイを抜け


大八木監督の声を聴くと1秒でも早くいけ!という気持ちが興奮して思わず「白バイを抜け」という言葉になったのでしょう。熱血ぶりは自分が走っているかのようで気持ちが伝わってきますね。

テレビカメラ、危ないから前行けって言ってんだろ

これも花尾選手の体にテレビカメラ触れて怪我したら困るという気持ちが思わず荒い言葉になってしまったのでしょう。
興奮するとどンな言葉が出てくるのか笑っちゃうような言葉もあるんですが大八木監督は我が子のことと同じように愛情があふれんばかりに一生懸命なのが伝わってきますね。

やったね!やったよ!お前男だ!


これは2021年復路優勝のゴール目前で大八木監督が10区の走者である石川拓慎に「男だろ!」という檄を飛ばしてからスイッチが入りトップに立ち優勝が決まるゴールへと向かうところで大八木監督は檄を束した後それに見事に応えてくれた喜びと感謝の気持ちがこの言葉になったんでしょう。
優勝してくれた素晴らしい10人のランナーたちに恵まれて嘸かしうれしかったことでしょう。

大八木弘明の名言

駒澤大学大八木弘明監督の愛情あふれる名言は選手たちの胸に深く刻み込まれていることでしょう。
最初に大八木監督が若かった時に自分の強化メニューを押し付けてしまってうまくいかなくて指導者と選手との気持ちが重なることが大事だと気が付いたといいます。

優勝という結果をもたらした指導とこれらの名言は選手に優勝させてやりたい気持ちから自然にあふれ出てきたものなんですね。

1 「箱根だけは、ごまかしが利かないんだよ」
2 「なんとかして選手に自信をつけさせたかった。それで『復路優勝』を狙ったんです」
3 「前を追いかけても、全然背中が見えない。それでも気持ちが切れない選手が強いんだ」

大八木弘明の人気の本

『タスキを繋げ! 大八木弘明 駒大駅伝を作り上げた男』

『監督と大学駅伝』(生島淳(著)

大八木監督が現在一番信頼している田澤廉選手についての記事も紹介しておきます

 

田澤廉(駒沢)のネックレスとシューズのブランドは?型式と価格は?

また、次期エース候補の鈴木芽吹についてはこちらです。

鈴木芽吹はなぜ駒澤に?理由は田澤廉がいたから!

まとめ

大八木監督の身長は約173cm
年収は1100万円前後だと思います。
若い頃の仕事は地元福島の小森印刷に就職していました
名言や人気の本も残していて今後も注目される監督ですね

駒澤大学の陸上部で活躍している大八木監督は箱根駅伝目前に迫る今選手の最終調整に入っているでしょう
大八木監督が箱根駅伝にかける思いは若いころからあこがれていた箱根駅伝に出たい気持ちは誰にも負けないですね。
数々のエースを育ててきて苦労したからこそ現在の指導が間違いないと確信しています。

最後までお読みいただきありがとうございました。