
駒沢大学の鈴木芽吹選手は大学駅伝で話題になる選手の一人で駒澤大学の中でもエース田澤廉に次ぐ成績を残す選手ですね。
1年生から箱根駅伝に出場しているのも田澤廉との共通点ですし、鈴木芽吹は次期駒澤陸上部の主将ではないでしょうか。
鈴木芽吹き選手がなぜ駒澤大学に進んだのか?
佐久長聖に進学した理由と合わせて紹介していきます。
鈴木芽吹が佐久長聖(さくちょうせい)高校に進学した理由は?
鈴木芽吹は静岡県の熱海からなぜ長野県の佐久長聖高校に進学したのかというと
小学生の時に箱根駅伝の感染に行くために伊豆箱根鉄道に乗車した時に偶然にも当時東海大学の村沢明伸選手に出会い駅伝について話を聞いて感動したのですが
その村沢明伸の出身校が佐久長聖高校だったのでした。これぞ、運命的な出会いでした。
鈴木芽吹は駅伝選手を多く輩出していることや村沢明伸選手の母校でもある
佐久長聖高校に行くため静岡県熱海市から長野県佐久市へと進学します。
引用元:https://mainichi.jp/articles/20191222/k00/00m/050/161000c
高校時代は坊主頭でさっぱりした頭でした。
鈴木芽吹はなぜ駒澤に?
鈴木芽吹はなぜ佐久長聖から駒澤大学に進学したのかということですが
高校時代の大会で鈴木は田澤廉のことを知り自分の目標にする選手だと思ったのでしょう。
ゴマスポでは田澤廉と鈴木芽吹の対談インタビューが行われましたがその中で田澤廉は高校時代に鈴木のことを知っていたかと聞かれると「知らなかった」と答えていますが鈴木芽吹はやはり意識していたのか次のように答えていました。
―田澤選手は高校の時は鈴木選手を知らなかったか
田澤:知らない(笑)。
鈴木:全国高校駅伝で走りましたよね。
田澤:覚えてないそれ(笑)。脱水症状になった時の?
鈴木:はい。
ということで鈴木芽吹の一つ上で駒澤大学に入学と同時に活躍している田澤廉は鈴木にとって目標になったのでしょう。
また、鈴木は同じ学年の同級生の中では一番になると決めているところも将来は首相としての素質があると思いますね。
鈴木芽吹が大学1年生の時の言葉
自分がこの学年で1番になって引っ張っていくと決めているのでトップの座は譲りたくない。
田澤廉は大学1年生の時から三大駅伝に出場して活躍してて成績を残しています。高校時代にはあと一息のところまでは追いついたが抜くことはできなかった5000mの記録がこちらです。
#全国高校駅伝 5000m最速選手👀
1区 田澤廉(青森山田)13:53:61
2区 小指卓也(学校法人石川)14:09:37
3区 フィレモン キプラガット(倉敷)13:22:27
4区 山谷昌也(水城)14:06:83
5区 鈴木芽吹(佐久長聖)14:21:26
6区 宮内斗輝(佐久長聖)14:09:74
7区 倉本玄太(世羅)14:08:39https://t.co/Z7PEArDmD9— Player!陸上 (@Playerapp_eki) December 23, 2018
だとすると高校時代のタイムが田澤廉のタイムにあと一息というところまできていました。
鈴木選手は田澤廉が平成の常勝集団と言われる駒沢大学にいることを知ると
後を追うように駒澤大学に進学しました。
やはり自分の将来像を予感したかのように現在も駒澤陸上部では頼りになる先輩でもあるし教えてもらいたい先輩でもある田澤と協力し支えあえる仲間でもライバルでもあると話しています。
そんな田澤廉選手も日体大記録会に出場した時に大八木監督にサインを持ったこともあり指導するのを見て駒沢大学に行こうと思ったそうですし、駒澤OBの中村匠吾さんにもあこがれていたのです。
ということで田澤選手も鈴木選手もあこがれの先輩や駒澤大学の成績や活躍ぶりを見て進学するなら駒沢大学と決めたんですね。
鈴木芽吹の駒沢大学入学時の目標は
そして鈴木は駒澤大学入学時は早稲田大学の中谷雄飛が目標
早稲田大学の中谷雄飛選手も佐久長聖高校出身でした。
高校時代に自分のそばにいた先輩が大学に進んで活躍する姿が一番の目標になるわけですね。
#3区 を走る #鈴木芽吹 。駒大入学時に現在1位の #早大 #中谷雄飛 選手を目標としている人に挙げました。#駒大 #駒大陸上部 #全日本大学駅伝 #コマスポ #原点と新化 #男だろ #藤色のタスキ #大学駅伝駒澤大学
— 駒大スポーツ陸上班 (@KomaspoTaf) November 1, 2020
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まとめ
鈴木芽吹がなぜ駒澤大学に進学したのかについては目標になった田澤廉がいるから
でした。
また、常勝軍団と言われている駒澤大学の陸上部で活躍したいと思ったからです