石川倉次とは

石川倉次は日本の点字の父と言われる人で現在の日本で使われている6点式点字を作った人なのです。

石川倉次プロフィール

氏名:石川倉次(いしかわ くらじ)

出身地:静岡県浜松市

その当時はまだ、江戸時代なので
遠江国浜松藩と呼ばれていました。

生年月日:1859年2月28日(安政6年1月26日)

両親:浜松藩士の父・専七
母・ゑし
兄弟は妹のぎんと2人

倉次は成績優秀でしたが、父の仕事の関係で上総国鶴舞(現在の千葉県市原市)へと移り住むことになった。

倉次は鶴舞小学校をトップの成績で卒業後助教として採用されたのです。
その後は教育者としての道を歩んで行きました。

明治維新の1868年に市原市鶴舞に移住、県内の小学校で教員生活をするのだった。

東京盲唖(もうあ)学校(現在の筑波大付属視覚特別支援学校)に迎えられ、
フランスのルイブライユの点字にであうことになる。

ルイブライユとの関係は

世界で初めて点字というものを作ったのはフランスのシャルルバルビエという人

なのですけど、12点式点字なので視覚障害者が読むのにものすごく時間がかかるのでした。

ルイブライユは5歳の時に両方の目が見えなくなって失明していますから12点式点字の扱いにくさを痛いほど体験しています。

そこで、ルイブライユはもっと簡単に読める6点式点字を発明して作ったのでした。

石川倉次は日本で使えるように、ルイブライユの6点式点字を日本語に対応したものに作り替えることに成功したのです。

8点式から6点式になったエピソード

石川倉次はミルブライユの 6点式点字ではなく8点式点字を作ろうとしていましたが小西信八 は簡単な6点式点字にこだわり、石川に反対してどうしても6点式を作ることになったのです それで頑張った結果 ついに6点式の点字を完成させました!

現在の日本の6点式点字は小西信八が頑として6点式点字に拘ったから良かったのでしょう。

1890年11月1日に開された「点字選考会」で見事

採用されたのです。

まとめ

石川倉次の点字はフランスのルイブライユが発明した6点式点字を日本語に対応するように、アレンジしたわけですね。

石川倉次とルイブライユとの関係は密接な関係にあります。

ルイブライユが発明したお陰で日本の点字ができたと言うわけですね。