明石志賀之助は身長は251cmは本当?実在して手形は残っている!

明石志賀之助(あかししがのすけ)とは

日本で相撲が始まったのが江戸時代だといわれていますがその当時の記録は
確実なものは残されていないのですが、明石志賀之助という力士は江戸時代の横綱の四股名です。とにかく身長が251センチという化け物のような大きさでどんな力士も投げ飛ばして殺してしまうほど滅茶苦茶強かったんですね。

1625年当時京都で最強と言われた身長227cmの仁王仁太夫(におうにだゆう)と対決し、明石は目よりも高く仁太夫にもち上げられたが空中で一回転して飛び蹴りで打ち負かし、快勝したことで朝廷(108代後水尾天皇)より「日下開山」の称号を授けられたことで相撲の中では開祖という意味で初めて横綱として認められたことになったのです。
日本相撲協会のHPにも初代横綱として紹介されています。

明石志賀之助は身長は251cmは本当?

江戸時代の男性の平均身長が155cm食糧事情から言って江戸時代において251cmの身長の持ち主は信じられない気がします。当時一番美味しいものを食べていた徳川の歴代将軍も150cm代の身長だったのです。

そして幕末のヒーロー坂本龍馬が173cmでした。
江戸時代の平均寿命が31.7歳なんですがこれは子供が早く死んでしまうことが多かったからのようですね。251cmの大男になるには何を食べて大きくなったのかが疑問ですし、両親の体型も気になりますね。
江戸時代の食糧事情から推察しても巨人症とでも言いますか、ホルモンの異常だったのかなあとも思います。

江戸時代の力士

江戸時代の力士でほかにも大男がいました
雷電為右衛門(らいでんためえもん)です。


引用元:https://edo-g.com/blog/2016/01/height.html/3

身長=197cm
体重=172kg

生月鯨太左衛門(いきつきげいたざえもん)


引用元:https://edo-g.com/blog/2016/01/height.html/3

身長=227cm
体重=169kg
手形=長さ25cm、幅11cm
ということで江戸時代にも現在の力士と同様な体格を維持している
ことになります

明石志賀之助のプロフィール

栃木県宇都宮市
何しろ江戸時代の話なので有力な情報がないですがわかる範囲で調べた情報です。

四股名 明石 志賀之助
本名 山内 志賀之助
生年月日 1607年(栃木県庁のHPより)
没年月日 不明
出身 下野国宇都宮(現:栃木県宇都宮市)[1]
身長 約251.5cm
体重 185kg

明石志賀之助は本当に実在したのか?

初代横綱の明石志賀之助が実在の人物だったのかということですが
栃木県宇都宮市の蒲生神社には明石志賀之助が祭られていまして訪れた人たちの感想や声を調べてみました。

石像や手形が残されているので参拝するとこのような大男が江戸時代には本当にいたのかと思うと絵を見て信じられないほど大きくて疑いたくもなるのですが祭られているということは本当に明石志賀之助は生きていたと信じたくなるでしょう。

栃木県宇都宮市の蒲生神社では2008年からこの地で生まれた「初代横綱 明石志賀之助杯少年奉納相撲大会」を主宰していて子供さんたちが相撲をするのです。

明石志賀之助の手形

身長2メートル51センチの明石志賀之助の手形がこのように残されています。

引用元:http://matomeburo.blog.fc2.com/img/entry_img_37a.jpg/
栃木県蒲生神社には明石志賀之助の石像や土俵もあるので実在したことを信じたいですね。
栃木県民は間違いなくこの初代横綱の明石志賀之助の存在は信じ切っているに違いないと思います。

明石志賀之助は栃木県庁のHPより実在と確認

栃木県庁のHPには生まれた年月日と入門時期や番付についてこのように紹介されています。

1607年から 没年不明
初代横綱・明石志賀之助は、宇都宮藩士山内主膳の次男として宇都宮
城内武家屋敷に生まれ、1622年江戸に出て須磨浦林右衛門の弟子となり角力取りとなった。

1624年には関脇に進み、1625年、当時相撲界で名声を博していた仁太夫に勝ち、相撲界初の横綱となった。12代横綱の陣幕久四郎によって建てられた彼の碑が宇都宮の八幡山にある。

なお、第二代横綱も栃木県出身の綾川五郎次である。

ここまで詳しく書かれていることから初代横綱・明石志賀之助は実在したものということになりますね。

まとめ

初代横綱の明石志賀之助は実在したのか?
確実に証明することは栃木県のHPに記載されていることが真実ということであれば実在したことになりますね。

今でも栃木県の宇都宮の人々にとっては名士として実在しているのは間違いありません。

明石志賀之助の姿はいつまでも初代横綱として語り継がれていくことでしょう。

最後までお読みいただきありがとうございました。